なぜ熊野詣に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?そもそも熊野詣ってなに?【その1】:2ページ目
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仏教の普及とともに増えた熊野詣
奈良時代に仏教が盛んになると、紀伊山地の山々は阿弥陀仏や観音菩薩がいらっしゃる「浄土」に見立てられます。そして、僧侶や修験者が神聖な修行を行う場と考えられるようになりました。
平安時代になると、末法思想が広がります。この思想は、お釈迦様が亡くなって1,500年目に「仏教の教えが消滅する世」が訪れるというものです。
この時代には、藤原氏の摂関政治が隆盛を極まる中で、貴族に変わるべく新しい勢力の武士が台頭し、世の中が乱れる動乱期に入っていきます。このような世情に、天皇や貴族だけでなく、民衆の不安も増していきました。
こうした時期に、「浄土」があるとされる神聖な熊野を詣でると、「来世の安泰」が得られるという信仰が広まり、熊野三山への参詣が増えていったのです。
【その1】はここまで。熊野詣が盛んになった経緯を述べてきました。
【その2】では、上皇たちを夢中にさせた熊野三山とは何かを紹介しましょう。
◎参考文献
『世界遺産 熊野古道 ~とっておきの聖地巡礼 歩いて楽しむ南紀の旅~』 メイツユニバーサルコンテンツ刊・伊勢・熊野巡礼部著(編集・執筆:高野晃彰)]
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