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これは蒲殿ロス不可避…源範頼が失脚に追い込まれた失言とは?【鎌倉殿の13人】

これは蒲殿ロス不可避…源範頼が失脚に追い込まれた失言とは?【鎌倉殿の13人】:2ページ目

起請文を献上するも……

では『吾妻鏡』の範頼は、謀叛の疑いに対してどのように対応したのでしょうか。建久4年(1193年)8月2日、範頼は頼朝に起請文を献上します。

敬みて立て申す
起請文の事。
右御代官として、たびたび戦場に向ひをはんぬ。朝敵を平らげ、愚忠を盡してより以降、全く貮なし。御子孫の将来たりといへども、またもつて貞節を存ずべきものなり。かつはまた御疑ひなく御意に叶ふの條、具に先々の厳礼に見えたり。秘して箱底に蓄ふ。しかるに今さら誤たずして、この御疑ひに与ること、不便の次第なり。所詮当時といひ後代といひ、不忠を挿むべからず。早くこの趣をもつて、子孫に誡め置くべきものなり。万が一にもこの文に違犯せしめば、上は梵天帝釈、下界は伊勢・春日・加茂・別して氏神正八幡大菩薩等の神罰を源範頼が身に祟るべきなり。よつて謹慎してもつて起請文件のごとし。
建久四年八月 日     参河守源範頼

※『吾妻鏡』建久4年(1193年)8月2日条

【意訳】つつしんで誓いを立て、この起請文に記します。
私はこれまで鎌倉殿の代官として度々戦場に向かって朝敵を滅ぼし、愚直に忠義を尽くしてきました。まったく貮(ふたごころ)などありません。鎌倉殿のご子孫に対しても変わらず忠義を尽くして参ります。このたび謀叛の疑いをかけられてしまったことはとても残念です。今までがそうだったように、これからも魔が差すことなどございません。この真心を我が子孫に厳しく申しつけておきます。もしこの誓いに背いたならば、天上では梵天(ぼんてん)様に帝釈天(たいしゃくてん)様、地上ではお伊勢さまに春日大社に加茂神社、そして源氏の氏神様である八幡大菩薩の天罰を受けることになりましょう。
以上、つつしんでお誓い申し上げます。

……文面を読んでいるだけでも、必死になって「何とか頼朝と和解したい、赦して欲しい」と言葉を尽くす蒲殿の姿が目に浮かぶようです。

しかし、起請文を取り次いだ大江広元(演:栗原英雄)はその文面に言いがかりをつけて、突っぱねてしまいました。

「ご署名に源の姓を使われていますが、これは鎌倉殿とご自分が同列である(取って代わる資格がある)とでも言われるおつもりか。思い上がるのもいい加減になされ。書式不備につき、この起請文は無効にございます!」

……殊に咎められて曰はく、源の字を戴す。もし一族の儀を存ずるか。すこぶる過分なり。これまづ起請の失なり。……

※『吾妻鏡』建久4年(1193年)8月2日条

そんなバカな。範頼だって頼朝と同じ源義朝(よしとも)の息子だし、ただ純粋に源氏だからそう名乗っただけで……と、必死に弁解するも、けっきょく功を奏しませんでした。

3ページ目 死一等を減じられ、実質的に伊豆への流罪

 

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