2度の離婚、整形後遺症、不倫、自殺…明治時代の悲劇の大女優・松井須磨子の生涯:2ページ目
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2度目の離婚と不倫、日本初の発禁騒動
1908年、2度目の結婚するも女優業で家事がおろそかになり、2年で離婚するも、女優としては当たり役が続き、1913年、劇作家の島村抱月と芸術座を旗揚げするなど順風満帆のキャリアを歩みます。
私生活は相変わらず奔放で、妻子ある島村抱月と不倫関係になり世間の批判を浴びます。
しかしそんなスキャンダルもなんのその、須磨子が歌った歌は大ヒットし、須磨子は日本初の歌う女優となりました。ちなみに1917年のレコード「今度生まれたら」では、歌詞の中にある
「かわい女子(おなご)と寝て暮らそ」
の部分が当時の文部省により猥褻扱いされ、日本初の発禁レコードになります。
須磨子の人生はとにかく「日本初」が多いのです!
不倫の恋人の死後後追い自殺
人気絶頂の須磨子でしたが、 1918年11月、恋人・抱月が病死すると、2ヶ月後に劇場の道具部屋において首吊り自殺。松井須磨子の波乱万丈人生があっけなく幕を閉じるのでした。
2度の結婚生活は上手くいかなかった彼女でしたが、抱月への恋心は本物だったようです。
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