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まさに戦国の売りこみ名人!武将・塙団右衛門が見せた大坂の陣でのパフォーマンスとは?

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/ 人物
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2022/06/07

夜討の大将、塙団右衛門

慶長19年(1614年)、大坂冬の陣が勃発すると還俗。不利な陣営に与した方が手柄を多く立てられる上に、活躍によっては大名になれるという理由から豊臣方に味方しました。

冬の陣で、団右衛門は本町橋の夜戦に参戦し、蜂須賀至鎮(はちすか-よししげ)の家臣・中村右近を討ち取る活躍をみせます。その際に、「夜討ノ大将 塙團右衞門」と書かれた木札を敵陣にばら撒きました。

名が知れ渡ったことで得たもの

本町橋の夜戦での活躍と木札のおかげで名が知れ渡った団右衛門は、大坂夏の陣では一部隊の大将に任命されました。そして、樫井の戦い浅野長晟(あさの-ながあき)軍と激突します。

この戦いで団右衛門は、一番槍を巡って岡部則綱と先陣争いをしている中、敵中で孤立。その後、味方と連携が取れないまま、敵と交戦し討ち取られました。

一方の則綱は辛くも生還しますが、団右衛門を見殺しにしたことに対する批判を受けたことで切腹を覚悟します。しかし、毛利勝永に止められた則綱は、大坂城落城後には愧世庵と名を変え隠遁しました。

まとめ

自分を売りこんだことで、名が知れ渡り一部隊の大将になれた団右衛門。団右衛門の自分を売りこむ行動力や考え方には、見習うべきところが多いので参考したいものですね。

また、樫井の戦いでは旗印に塙団右衛門と書いていたそうなので、抜け目がないことも特徴です。

また、討死後の則綱に対する周囲の反応を見るに、団右衛門は評価が高かったことが伺えます。さらに、奉公構を出されても仕官先があったことから、団右衛門自体が優秀な人材だったと考えらます。団右衛門は上司に愛されるキャラだったのかもしれませんね。

参考:永岡慶之助『大坂の陣名将列伝』

 

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