「鎌倉殿の13人」源頼朝、30年ぶりの上洛!そして征夷大将軍に…第22回放送「義時の生きる道」予習:3ページ目
頼朝が「征夷大将軍」となった理由
その後も12月14日に京都を去るまで、頼朝と後白河法皇は計8回におよぶ会談を重ね、日本国総追捕使(そうついぶし。あらゆる謀叛人を討伐する役目)と総地頭(日本全国に地頭を設置する地位)が恒久化されます。
現代の感覚で言えば全国あまねく警察権が行きわたり、頼朝が日本国の平和と安全を守ることが公式に認められたのでした(加えて、守護の任免権も与えられました)。
12月29日に鎌倉へ戻った頼朝たち。やがて建久3年(1192年)3月に後白河法皇が崩御(ほうぎょ。亡くなること)。7月12日に頼朝は征夷大将軍に任じられます。
これはかねて頼朝が「大将軍」の地位を求めたところ、朝廷では4つの案が検討されていました。
一、惣官(そうかん)
一、征東大将軍(せいとうだいしょうぐん)
一、上将軍(じょうしょうぐん)
一、征夷大将軍
惣官とは「すべてをすべる者(官)」を意味し、以前に平家政権で用いられていました。滅亡したから縁起が悪いですね。
次に征東大将軍。これは「東国の賊を征伐する者」を意味し、こちらは以前に木曽義仲(演:青木崇高)が任じられていました。これも滅んでいるため縁起がよくありません。
今度は上将軍。単に大将軍の唐名(とうみょう。中国大陸での呼称、別名)ですが、日本では前例がないので却下。
ならば征夷大将軍はどうか……これは「あらゆるゑびす(逆賊)を討つ者」であり、蝦夷討伐で活躍した坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)の吉例があります。
かくして征夷大将軍となった頼朝。以後同職は約7世紀にわたり「武家の棟梁」として君臨し、朝廷の権威をもって天下を平定する象徴となったのでした。
(後世の足利幕府・徳川幕府も征夷大将軍の補任をもって開府とされているため、歴史の流れを鑑みて鎌倉開府もこの時点=建久3・1192年と考えるのが適切です)
終わりに
以上、頼朝が征夷大将軍となったいきさつを駆け足で紹介してきました。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」予告では比企一族の娘・比奈(演:堀田真由。後に義時の正室となる姫の前)が登場、八重を亡くして落胆する義時に接近を図ります。
ほか「鎌倉殿への不信が膨らんでいるようです」とは畠山重忠(演:中川大志)、「再び謀叛の気配がござる」と梶原景時(演:中村獅童)。今度はいったい誰が謀叛を企んでいるんでしょうか。
そして殺し屋・善児(演:梶原善)は誰を死に追いやるのか、取り乱す阿野全成(演:新納慎也)と実衣(演:宮澤エマ。阿波局)夫婦、などなど。
第22回放送「義時の生きる道」果たしてどんな道なのか、次週も楽しみにしています。
※参考文献:
- 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 後編』NHK出版、2022年6月
- 今江廣道 編『中世の史料と制度』続群書類従完成会、2005年6月
- 白根靖大『中世の王朝社会と院政』吉川弘文館、2000年1月