「鎌倉殿の13人」源頼朝、30年ぶりの上洛!そして征夷大将軍に…第22回放送「義時の生きる道」予習:2ページ目
さすがの大天狗も面食らった?頼朝の掌返し
権大納言も右近衛大将も、その目的上京都にいなければ務まりません。
つまり後白河法皇は頼朝を「ずっと京都で抱え込みたい」思惑をもって両職を与えたのですが、頼朝は「その手は食うもんか」と拒否したのです。
「それなら最初から断ればいいじゃないか!」
後白河法皇の抗議が聞こえて来そうですが、貰える官位は貰っておくに越したことはありません。
なぜなら「一度貰ってしまえば、たとえその後に返上しても、貰った官位に相応しい実力を備えている」ことのお墨付きになるからです。
これはかつて頼朝が伊豆に流された時も、既に授かっていた右兵衛権佐(うひょうゑごんのすけ)のステイタスを最大限に活かしたのと同じこと。
頭に前(さきの。元職の意)とついたって、その効果は薄れません。他の坂東武者たちのほとんどが「じょう(三等官)」とか「さかん(四等官)」である中、頼朝の「すけ(二等官)」はとても輝かしいものでした。
※ちなみに一等官は「かみ(例:相模守など)」となります。
まさかこんなにアッサリ返上してくれやがるとは……さすがの「大天狗」後白河法皇も、さぞ面食らったことでしょう。
「貰う時はすごくありがたがっていたくせに、いざ貰ったらさっさと辞めるとは……わしが大天狗と言うなら、あやつは大大天狗じゃ!」
今まで武士たちと言えば朝廷の権威をありがたがり、ちょっとした名誉(位階や官職など)をちらつかせてやるだけでも尻尾を振っていたのに……頼朝はその虚質を見抜いていたようです。
しかし虚名であっても御家人たちを従わせるにはちょうどいい目くらまし……でも京都に縛られたくないので、貰った官職はさっさと返上。
せっかく魚を釣ろう(頼朝を取り込もう)としていたのに、まんまと餌(官職を受けたという事実と名誉)だけ持っていかれた後白河法皇。頼朝に一本取られてしまったのでした。