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♪赤い靴 履いてた 女の子♪ は実在の少女。この女の子の像が横浜、そして静岡にも存在する理由

♪赤い靴 履いてた 女の子♪ は実在の少女。この女の子の像が横浜、そして静岡にも存在する理由

「赤い靴といえば横浜」になった理由

ではなぜ「赤い靴の女の子といえば、横浜」になったのでしょうか?

その根拠は、冒頭でもご紹介した、童謡「赤い靴」の歌詞でした。

「横浜の 波止場から船に乗って
異人さんにつれられて行っちゃった」

ここに「横浜」という地名が登場する理由については、明確に書かれているものを見付けることができませんでした。

しかし明治時代の横浜は、1859年7月1日(安政6年6月2日)の開港以後、外国人居留地や日本人町が作られ、日本で最初の鉄道が走り、「日本の近代化と文明開化の象徴というべき場」「人も物もここを通って海外との出入りを行う場」となっていました。

そこから「異人さんに連れられて」横浜から「行っちゃった」という歌詞になったのでしょう。

ちなみに「赤い靴の女の子」の銅像があるのは、横浜と清水だけではありません。

きみが幼くして亡くなった地である麻布十番と、きみの母親のかよやその夫の鈴木氏と関わりの深かった北海道(函館、小樽、留寿都)に、きみを模した像やきみ・かよ親子の像がある他、きみの義父となった鈴木氏の故郷である青森県西津軽郡鯵ヶ沢町には「赤い靴 親子三人像」が2010年(平成22年)に建立されました。

お近くへ立ち寄った際には、悲しい母子の物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

【参考】
童謡「赤い靴をはいた女の子」は、実在の少女だったという事はご存知ですか?
山下公園・赤い靴はいてた少女像、横浜だけでなく静岡など各地にある意外な理由

 

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