「鎌倉殿の13人」大天狗に取り込まれ死神にそそのかされた義経…第19回「果たせぬ凱旋」振り返り:2ページ目
やっぱり嫌われ者の頼朝
義経と和解するには、どうすればいいか……頼朝は選ぶに事欠いて、子供たちの世話をする八重(演:新垣結衣)の元へ。
軽蔑の眼差しを浴びせられながら、「説教」を拝聴する頼朝。そして憂鬱な胸中を少しでも晴らそうと子供たちに優しく振る舞ってはみるものの、全力で拒否されてしまいます。
無理もありません。多くの人を殺し、子供たちにとってより身近であった源義高(演:市川染五郎)まで殺してしまった以上、頼朝は鬼か悪魔に見えていることでしょう。
見かねた安達盛長(演:野添義弘)が子供の一人をつかまえ、不器用にも懐かせようとしたものの、かえって頼朝の辛さが増すばかり。
でも、仕方ありません。頼朝だって、子供たちに自分の立場を解ってもらおうなどと期待などしていないでしょう。
むしろ頼朝が「悪」と判断される平和な世の中をこそつくるためにこそ、頼朝は佐殿や武衛ではなく「鎌倉殿」となって残忍な粛清を繰り返してきたのです。
(もちろん判断ミスや手法の問題など、すべてが理想的であったとは、お世辞にも言えませんが……)
辛い決断を繰り返し、御家人たちの手を血に染めさせてきた辛さを知っているからこそ、史実の御家人たちは頼朝を愛し続けたのでした。
でも、それが次世代の子供たちにとって幸せな状態でないことは、当の頼朝が最もよく理解していたはず。
たまには辛くなることもあるけれど、自分が嫌われ者、日陰者である世の中こそ頼朝の本懐。その苦闘は、死ぬまでずっと続きます。
「死神」源行家と「大天狗」後白河法皇
義円(演:成河)を見捨て、木曽義仲(演:青木崇高)を見捨て、そして今度は義経も見捨てた源行家。
頼朝が「獅子身中の虫(寄生虫)」と蔑んだ彼は、己が野心のために源氏一族を渡り歩き、次々と破滅へ追いやりました。
劇中では義経を焚きつけて頼朝追討の宣旨を求めさせ、いざ兵が集まらなければ「だから挙兵はやめろとあれほど言ったのだ!」と手の平を返す無節操ぶり。
梯子を外されてしまった義経が哀れにも思えますが、しかしこれまでの「叔父上」ぶりを見ていれば、騙される方も騙される方です。
そして後白河法皇も法皇でたやすく頼朝追討の宣旨を下しておきながら、いざ義経が逃げ出せば宣旨を取り消して義経追討の宣旨を下す始末。
あまりのこと、前代未聞の仰せに対して何度も聞き返す九条兼実(演:田中直樹)。あれは面と向かって反対はできないものの「いくら何でもそりゃないんじゃないですか」という都人なりのツッコミだったのでしょう。
後先考えずに宣旨など求めるから都を追われて身を滅ぼし、後先考えずに宣旨を出すから、逆手に取られて「御身の安全を守るため」として頼朝に西国の支配権を握られてしまったのでした。
しかし、どうも「追討」という言葉や宣旨が軽く扱われているようであまり感心しません。
追討とは「地の果てまでも追い駆け追い詰め、必ずや討ち滅ぼす」意。そんな事も知らずあるいは考えずに、義経は宣旨を求めたのでしょうか。
「叔父上にそそのかされて……」という劇中のストーリーはそれでよしとしても、実際の義経は本気で頼朝を討つつもりで宣旨を求めたはずです。
喧嘩を売るだけ売っておいて、いざ不利となったら弱気になってしまうなんて、義経らしくありません。行家の入れ知恵はあったにせよ、自分の覚悟と責任において堂々と頼朝に宣戦布告してこそ英雄・義経の真骨頂と考えます。