「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇ノ浦に舞った男」予習【前編・屋島の合戦】:2ページ目
エピソード2・六日の菖蒲
廷尉昨日自渡部欲渡海之處。暴風俄起。舟船多破損。士卒船等一艘而不解纜。爰廷尉云。朝敵追討使暫時逗留。可有其恐。不可顧風波之難云々。仍丑尅。先出舟五艘。卯尅着阿波國椿浦。〔常行程三ケ日也〕則率百五十余騎上陸。召當國住人近藤七親家爲仕承。發向屋嶋。於路次桂浦。攻櫻庭介良遠〔散位成良弟〕之處。良遠辞城逐電云々。」……(後略)
※『吾妻鏡』元暦2年(1185年)2月18日条
さて、瀬戸内海を渡ろうとしていた源氏の諸将ですが、暴風雨によって海は大荒れ。出航を見合わせていたところ、義経は船頭たちを弓で脅して無理やり出航させました。
「通常なら三日かかるが、これだけの追い風なら一晩で行ける。戦で死のうが嵐で死のうが、今すぐここで射殺されようが、同じ死ぬなら一縷の望みに賭けてみよ!」
とか何とか無茶な命令もあったもので、結局5艘150騎で出航。丑刻(午前2時ごろ)に出て卯刻(午前6時ごろ)に阿波国桂浦(徳島県小松島市)へ到着します。
「このまま一気に平家の背後を衝け!」
義経らは在地の豪族・近藤七親家(こんどう しちちかいえ)を味方につけて阿波国を北上、道中に桜庭良遠(さくらば よしとお)を撃破しました。その勢いで讃岐国へ入り、陸地から屋島を目指します。
「近隣の民家へ手当たり次第火を放ち、我らの軍勢を大きく見せよ!」
いよいよ屋島へ迫った義経の軍勢を前に、平家方は慌てて屋島を放棄して海上へ逃げ出しますが……。
「しまった、あんな小勢だったら立て籠もれば防げたのに……」
とは言え、今さら悔やんでも後の祭り。まんまと屋島を攻略されてしまったのでした。
……そこへ遅ればせながら、他の諸将が到着。義経が「おせーよ」と言ったかはともかく、景時は「六日の菖蒲」と笑われることに。
菖蒲(あやめ。しょうぶ)は5月5日「端午の節句」に飾るもので、六日に持って来られても役には立たない……ここでも面目を失った景時ですが、この部分は『平家物語』の創作です。