【鎌倉殿の13人】前原滉が演じる一条忠頼、忠実ではどう殺された?『吾妻鏡』を読んでみると……:2ページ目
親子のお作法教室に忠頼も注目していると、その左後方から天野藤内遠景(あまのの とうないとおかげ)が太刀をとり、一刀の下に斬り捨てました。
(うむ)
忠頼が斬られたのと同時に頼朝は後ろの障子を開き、素早く避難します。
「おい、次郎(忠頼)殿が斬られたぞ!」
「この野郎、何してくれやがる!」
庭先に控えていた忠頼の郎党、新平太(しんへいた)とその甥の武藤与一(むとうの よいち)、そして山村小太郎(やまむらの こたろう)らが抜刀して御所へと殴り込みました。
「てめぇら、謀りやがったな!こうなりゃ鎌倉殿も道連れだ!」
にわかに斬り合いが始まり、その場にいた御家人たちは取り囲もうとしますがなかなか苦戦。死に物狂いの三人によって多くの負傷者が出てしまいます。
「おのれ卑怯者、逃げるんじゃねぇ!」
三人はどんどん頼朝を追い駆け、ついに寝所の近くまでやってきたところで、先ほどの重成&重朝兄弟と結城七郎朝光(ゆうきの しちろうともみつ)が行方をふさぎました。
「「「命に代えても、ここは通さぬ!」」」
死闘の末に新平太と武藤与一は討ち取られ、山村小太郎も天野遠景の振り回した魚板(まないた。現代サイズではなく、テーブルくらいの大きさ)によってブッ倒されたのでした。
終わりに
大河ドラマの描いた一条忠頼の最期:
工藤祐経は及び腰、仁田忠常が斬る
『吾妻鏡』に記録された一条忠頼の最期:
工藤祐経は及び腰、小山田有重の機転で隙を作り、天野遠景が斬る
側にいた三人の郎党たちも討ち取られる
以上、甲斐源氏の有力者である一条忠頼の最期を紹介しました。ドラマ制作の都合上、あまりキャストを増やせないのは仕方がないので、こういう違いを知っておくだけでもドラマ観賞がより楽しめるでしょう。
しかし、ドラマも『吾妻鏡』も祐経はちょっと残念な感じですね。たまには工藤一臈(いちろう。第一人者)と呼ばれた歌舞音曲の才能を披露するなど、いいところも拝みたく思います。
また、こうしたマイナー御家人たちにも興味深い武勇伝がたくさんあるので、どんどん紹介したいです。
※参考文献:
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 2平氏滅亡』吉川弘文館、2008年3月
トップ画像: NHK公式ページより