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【真説 鎌倉殿の13人】源義経が一ノ谷の戦いで行った奇襲・逆落としの真相は三種の神器の奪回にあった【後編】

【真説 鎌倉殿の13人】源義経が一ノ谷の戦いで行った奇襲・逆落としの真相は三種の神器の奪回にあった【後編】:2ページ目

「逆落とし」の場所は鵯越。目的は三種の神器の奪回。

このように考えると、義経が「逆落とし」を行った場所は鵯越しかあり得ないことになります。生田口から移動しても9時、すでに移動していたとしても8時には、義経は「逆落とし」を敢行できたことになるのです。

では、義経の狙いは何であったのでしょうか。それは、宗盛本陣への奇襲であったと考えられます。宗盛本陣には安徳天皇がおり、そこには三種の神器がありました。

夢野口で安田義定らが、強兵の平通盛・教経軍と戦っている隙をついて、義経は鵯越から「逆落とし」を行い、宗盛本陣を突き、三種の神器の奪回を図ったのでしょう。

しかし、もう一歩というところで宗盛・安徳天皇を逃してしまい、三種の神器の奪回も果たせませんでした。

その後も執拗に三種の神器奪回を狙う義経

一ノ谷の戦いで三種の神器を取り戻すことに失敗した義経は、その後も執拗に三種の神器の奪回を試みました。

屋島に逃れた平氏に対し、暴風雨をついて奇襲を行ったり、壇ノ浦では禁じ手とされていた水夫に対しての殺戮を行うなどの戦術は、数万を率いる源氏軍の副将としての戦いにふさわしくありません。

おそらく義経は後白河法皇から、三種の神器奪回を厳命されていたのでしょう。後白河法皇としては王権を保つために三種の神器の保持は絶対条件であったのです。

今回は、源義経が行った「逆落とし」の奇襲について、行った場所とその目的について考えました。梶原景時など幕僚の反対を押し切ってまで行った奇襲の裏側には、後白河法皇の存在があったことは確かなことでした。

2回にわたり、お読みいただきありがとうございました。

 

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