夫婦そろって熊野ラブ♡源頼朝&政子がいなかったから【世界遺産】熊野は存在しなかった!?:2ページ目
尼将軍の供養塔
那智駅から那智の滝へ向かう熊野古道の一つ「中辺路」が、舗装された道路の民家の田畑や裏山などに存在します。そこをてくてく歩いて行くと「尼将軍供養塔」がありました。
尼将軍とは、源頼朝の正室・北条政子のことですね。
夫の死後、出家してからも政治の実権を握った女傑として有名です。
この供養塔は病がちな実子・源実朝の平癒を願って、政子が建保6年(1218年)に建立したと伝わっています。地元では石に願い事を書いて納めれば叶うといわれ、大切にされているそう。また、林を抜けると「ふだらく霊園」があり、尼将軍に仕えた人々の墓がありました。頼朝の死後植えられたという樹齢800年の柿の木があります。
大門坂の夫婦杉
さて那智の滝(熊野那智大社)へ向かう参詣道のハイライト、大門坂。
熊野古道といえばここ、という観光名所の一つにもなっています。
この大門坂の入り口に、樹齢800年の夫婦杉とよばれる巨木があるのですが、地元の方のお話では、この夫婦とは頼朝と政子のことだといいます。実は大門坂の石畳や杉並木も頼朝が熱心に整備をすすめ、寄進したものだとか!
頼朝は、二寸銀の観音像を終生肌身離さず持ち歩いていたといわれています。観音は人々の現世での願いを聞き入れ、苦しみを軽減する有難い仏。頼朝は熊野も含めた西国三十三か所霊場にならい、坂東三十三観音霊場めぐりの確立に大いに寄与したといいます。
ちなみに熊野に寄進など行ったのが1193年ごろといわれていますが、頼朝が征夷大将軍になった翌年で、頼朝が亡くなる5年前のことです。
義経の追放や奥州藤原氏との戦いなどなど肉親との戦いや殺生に彩られた人生の反面、自分の魂が救済されたいと考えていたのでしょうか。
なんにせよ、寄進した石畳などが後世、世界に認められた日本の美しさを象徴する場所になるとは、頼朝も想像もできなかったでしょう。
みなさんも是非、熊野詣の折には鎌倉武士の痕跡を探してみてください。