【秘話 鎌倉殿の13人】源頼朝最後の男系男子・貞暁(じょうぎょう)の波乱に満ちた人生と北条政子との因縁:その2:3ページ目
頼家が全成を誅殺した2ヶ月後、頼家が病により危篤状態に陥ります。その機に乗じて、北条時政が頼家の妻の父・比企能員を謀殺し、比企一族を滅ぼしてしまいました。わずか6歳の頼家長男一幡も数か月後に捕らえられ義時の郎党に刺殺されたといいます。
頼家:おのれ時政め、北条の者どもめ。比企のみならず、我が子一幡までも手にかけるとは。許さじ!
意識が回復した頼家は、比企一族と一幡が殺されたことを知り激怒します。太刀を手に立ち上がるものの、政子に押さえ付けられ、時政によって伊豆修善寺に幽閉されてしまいました。そして、1203(建仁3)年11月、時政の兵たちによって殺害されてしまうのです。
頼家の殺害は、幕府内権力が北条氏から比企氏へわたることを怖れた時政・義時・政子によって主導されたことは間違いないでしょう。こうして、源氏一族男子で残ったのは、頼家の跡を継ぎ三代将軍となった源実朝と頼家の子(公暁・栄実・禅暁)、そして貞暁など数人だけとなったのでした。
一方、この間、京都で仏道修行に励む貞暁の周りでも不幸が続きました。1197(建久8)年10月13日、貞暁の力強い庇護者であった一条能保が亡くなります。そして、1206(元久3)年には隆暁法印が仏道に捧げた生涯を閉じたのです。
【その2】はここまで。【その3】では、政子の上洛に伴う貞暁の高野山転居の真相。そして、政子の再上洛の際に起こる貞暁の壮絶な行動。その後の貞暁と政子の関係についてお話ししましょう。