徳川家康の健康オタクぶりに驚愕!食事・運動・薬学まで…まるで管理栄養士:3ページ目
健康と統治
彼の死因の俗説として「天ぷらの食べ過ぎ」とか「食い合わせが悪いものを食べた」というのがありますが、ここまで徹底して健康管理を心がけていた家康が、そのような原因で亡くなるというのはちょっと信じられなくなってきますね。
家康の、この執拗・綿密・徹底したオタク気質は、おそらく彼が構築した徳川幕藩体制が250年続いたこととも無関係ではないでしょう。戦国時代という地獄を見てきた彼は、二度と日本が「乱世」とならないよう、全国各地の大名の分布などに非常に神経を使いました。
自分に身近な大名と疎遠な大名をより分け、後者は外様として反乱を起こしにくいようにして、二度と「下剋上」の殺し合いが起きないように創り上げられた江戸時代。それは、家康が自分の身体のみならず、日本そのものの「健康管理体制」をしっかり敷いたおかげだったのです。
ちなみに、これは余談ですが、徳川幕府の三代将軍・家光の死因は、当時「江戸わずらい」と呼ばれていた脚気(かっけ)でした。これは白米の食べ過ぎによる栄養不足が原因で起きるもので、もしも家康の健康法が後世にきちんと引き継がれていたら、彼ももっと長生きしていたかも知れません。