幕末から明治にかけて、菊池容斎の描いた歴史上の偉人画集『前賢故実』。
そこには神話や古代から南北朝時代まで、数百人もの絵姿や略伝が紹介され、往時に思いを馳せる便(よすが)となっています。
今回は大野果安(おおのの はたやす)と田辺小隅(たなべの おすみ)を紹介。
共に飛鳥時代の武将で、二人とも同じページに描かれているのですが、気になったのはお互いの距離。
弓を構えた一人のすぐ背後に立っているもう一人。よほど親しい間柄でなければ、かなりの圧を感じそうな近さです。
しかし、前の人物は満更でもない?表情。そして背後の人物はその顔を覗き込むような視線を送っています。
何だかただならぬものを感じる二人は、どのような関係だったのでしょうか。
壬申の乱に出陣
時は天武天皇元年(672年)、天智天皇の後継者争いとして各地で激戦が繰り広げられた壬申の乱。
大海人皇子(おおあまのおうじ。後の天武天皇)と大友皇子(おおとものおうじ。後の弘文天皇)が大和朝廷を二分したこの決戦で、田辺小隅と大野果安は大友皇子に味方します。
「伊賀・近江(現:三重県北西部・滋賀県)方面へ進撃し、敵の補給線を寸断せよ」
「「御意」」
主将は大野果安、田辺小隅は副将としてさっそく出撃。両将軍は乃楽山(ならやま)に陣取る大伴吹負(おおともの ふけい)を襲撃します。
「かかれっ!」
この時、大伴吹負は他方面へ軍勢を分けていました。そのため肝心の自軍が手薄となっており、その隙を衝いたことで田辺小隅らは勝利を収めます。
「よし、この勢いで倉歴(くらふ。現:滋賀県甲賀市)へ参るぞ!」
しかし八口の丘までやって来た時、大野果安は遠方に敵の伏兵を発見。進軍を止めてしまいました。