武装解除の日本史!「刀狩り」は戦国時代の豊臣秀吉だけではなかった【後編】:2ページ目
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GHQによる武装解除
大戦時、日本人はアメリカ軍に島を攻撃されて玉砕する時に、機関銃を持つアメリカ兵に軍刀を持って最後まで立ち向かっていったそうです。
ドイツやイタリアの兵はすぐに両手を挙げて降伏するのに対して、日本人だけは最後の最後まで日本刀で立ち向かってくる、GHQはそんな日本人を今のうちに武装解除させておかないと危険だと考えていました。
そこで、GHQは「民間の武装解除条項」を日本政府に指示します。
これは、一般日本国民の所有する日本刀を含めた一切の武器を没収するという内容でした。まさに、現代の「刀狩り」と言えるでしょう。
日本政府は当初、「日本刀は日本人の魂であり、代々受け継がれている家宝である」と主張し接収を拒絶しました。
しかしGHQがそのような例外を認めるはずもありません。
そこで、政府はごく一部の日本刀を武器ではなく美術品・文化的財産として保有する事を認めさせることにしました。
それ以外の大半の日本刀はすべて接収され海中に投棄されました。その数およそ100万振とも言われています。
現在、日本人が日常的に日本刀に触れる機会がほとんどなくなってしまったのは、この時の政策によるものなのです。
「刀狩」という名前だけでは豊臣秀吉の政策しか思いつきませんが、実は日本人は何度も「武装解除」させられてきたことが分かりますね。
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