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【鎌倉殿の13人】独りじゃないよ!流人時代から頼朝に仕え、気にかけた者たち【前編】

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藤原邦通(ふじわらの くにみち。生没年不詳)

通称は藤判官代(とうの ほうがんだい)。判官代とは国衙(こくが。現代の都道府県庁的な役所)の下級役人で、土地の管理や年貢の徴収などを担当する役職(その代理・補佐)です。

大和国(現:奈良県)の国衙に勤めていたため「大和(やまと)判官代」とも呼ばれました。

元は京都洛中の遊び人(放遊の客)だったそうで、文筆や絵画、占いに歌舞音曲など多才に恵まれたと言います。判官代の経験から、政治的な実務能力にも長けていたことでしょう。

京都で何をやらかしたのか、各地をブラブラしていたところを藤九郎に見出されて頼朝に仕えます。

ちょっとチャランポランでも頭は良さそうですし、そこはかとなく漂う都の香りが、遠く伊豆国へ流された頼朝の慰めになったかも知れません。

文士として政治能力を発揮した邦通ですが、一番の魅せ場は頼朝の挙兵直前。

山木判官(兼隆。演:木原勝利)の館を狙うにしても、どこから討ち入ったものか……」

「へへ、ちょいとお任せ下さいよ」

そう申し出た邦通、何と大胆不敵にも山木館に堂々と乗り込んで行ったのです。

「どもども、藤判官代です~!」

ちょうど山木館では宴会の真っ最中、持ち前のチャラ男ぶりをいかんなく発揮して会場に溶け込んでしまいます。

兼隆「おぉ、来たか!そなたがおれば大盛り上がりぞ!」

「「「ウェーイ!」」」

邦通も邦通ですが、頼朝の挙兵(=自分が標的にされていること)を察していながら、その手先である邦通を無防備に招き上げてしまう兼隆も兼隆です。

……で、数日ばかり山木館に滞在した邦通はこれまた画才を発揮。まるで現地にいるかのような館の見取り図を描き上げたのでした。

頼朝「これは……才能のムダ使いじゃな」

盛長「……ですかな」

しかしそのお陰で襲撃は成功。実際に戦った訳ではないものの、邦通の大殊勲と言えるでしょう。

【続く】

※参考文献:

  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人と本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
  • 市古貞次ら校注『曽我物語』岩波書店、1966年1月
 

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