【鎌倉殿の13人】独りじゃないよ!流人時代から頼朝に仕え、気にかけた者たち【前編】:2ページ目
中原光家(なかはら みついえ。生没年不詳)
通称は小中太(こちゅうた)、何だかネズミみたいで可愛いですね。彼は中原家の長男(太郎)で、父も太郎(中太)だったため、息子の光家には小の字がついたのでした。
父親の存在は史料に登場しませんが、わざわざ呼び分けているということは、何かしらの関係があったものと考えられます。
文章が書けたことから文士(ぶんし。右筆)として仕え、以仁王の挙兵以降は藤九郎と共に御家人たちの参集を呼びかける使者として奔走。
石橋山の合戦にも従軍し、頼朝が鎌倉入りした後は中心街からちょっと離れた小坪(現:神奈川県逗子市)に館を構えます。
大河ドラマでは頼朝の侍女として堂々と御所に出入りしている亀(演:江口のりこ)を、そこに住まわせて(隠して)いたのでした。
「ちょっと、気晴らしに浜へ出て来るよ」
そんな口実でいそいそと出かけた頼朝は、昔からのヤンチャ仲間である光家と遊び、亀といちゃついたそうです。
「あー。ここなら政子の目も届かないし、落ち着くなぁ」
やがて気が緩んだのか、頼朝は「ここじゃ通いにくいから」と亀の身柄をもう少し鎌倉に近い伏見広綱(ふしみ ひろつな)の邸宅に移しました。
光家「大丈夫ですかい?伏見殿の館じゃいささか近すぎるかと……」
頼朝「いいんだよ。今までバレなかったんだから、心配ないって!」
しかしその油断が命取りとなって、亀との密通が発覚。牧の方(りく。演:宮沢りえ)の告げ口に激怒した政子は広綱邸を破壊し、それが鎌倉を二分する大騒動に発展します。
騒動は何とか収まったのですが、それだけでは気が済まない政子は広綱を遠江国(現:静岡県西部)へ流罪に処してしまいました。
(あぁ、気の毒に……しかし、それがしの家でなくてよかったわい)
内心、胸をなで下ろしていたかも知れませんね。