日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【中編】:2ページ目
明治時代の人々の暮らし
こちらは油屋が描かれた引札です。江戸時代の中期頃から物流の発展に伴って高価であった菜種油の値段が下がり、庶民にも夜間に行灯などで明かりを灯すということが広がりはじめました。
明治時代に入ると徐々に“ランプ”が広まり石油を使うようになりました。油屋が長者番付に載ることもあったようです。
この引札を見ると右側の福助の置物の前にお餅が備えられています。年末の様子でしょうか、菜の花を模した丸枠の中には店の繁盛した様子が描かれています。
そのように忙しくても男性は着物の裾をまくりあげ、女性は着物姿にたすき掛けをして裾も動きやすいようにたくし上げて働いています。
石油ランプを磨いている店の息子と思われる男子の服装に注目してみると、洋シャツの上に着物という和洋折衷の姿です。外国の文化が日本に怒涛のごとく導入されるにつれ、こうして少しずつ洋服が庶民のあいだにも浸透していったのです。