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戦国最強の女武将!女戦士・妙印尼輝子(みょういんにてるこ)に豊臣秀吉も感服!?

戦国最強の女武将!女戦士・妙印尼輝子(みょういんにてるこ)に豊臣秀吉も感服!?

71歳の籠城戦

そして北条氏照は、城主が不在となった金山城へを兵を差し向け、攻め入ろうとします。

そこで立ち上がったのが輝子でした。

この時、彼女は齢71歳。由良家を護るために、彼女は家臣たちを束ねて立ち向かいます。またこの時、彼女は「反北条」の立場だった佐竹義重と佐野宗綱とも連携しています。

ここで輝子が採った戦略は「籠城戦」でした。

そしてその後、北条氏との和睦交渉を経て、翌年には金山城・館林城の2つと、幽閉されていた兄弟を交換することで決まります。

解放された国繁は柄杓山城(桐生城)に移り、領土も減りました。しかしとにかく命は助かったわけで、彼はその後1587(天正15)年に反北条として反旗を翻しますが、その翌年には北条に降伏してしまいました。

結局、与えられていた桐生城を失い、彼は小田原城へ移ります。

ことの経緯だけを見ていると、国繁という人は戦国武将としていまいちパッとしない印象ですね。息子のこの様子を見ていた輝子の胸中は、いかばかりだったでしょうか。

ところが、豊臣秀吉をも驚かせる、輝子の「伝説」はここからが本番でした。

3ページ目 小田原征伐での骨肉の争い

 

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