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「鎌倉殿の13人」寄せ集め武士団が大集合で「いざ、鎌倉」第8回放送の予習

「鎌倉殿の13人」寄せ集め武士団が大集合で「いざ、鎌倉」第8回放送の予習:2ページ目

一、亀谷に御所を建てようとすること

(前略)全成の助言もあって、頼朝は鎌倉の大倉に大きくて雅な御所(大倉御所)の建造を決める。頼朝の父・義朝の館跡に御堂を建て、長年にわたって菩提を弔ってきた岡崎義実からは御所を亀谷に建ててほしいと頼まれていたが、政をする要の場所が御所と捉えていた頼朝は、亀谷では手狭だと感じていた。なにより頼朝は、御所の建造を、豪族たちの言いなりにはならないことを示すいい機会だと考えていたのだ。
しかし、御所の件で岡崎義実は落胆し、上総広常は待遇に不満をみせ、和田義盛は畠山重忠の一件を根に持つなど、頼朝と御家人たちはうまく噛みあっていなかった。

※「鎌倉殿の13人」第8回あらすじより

大河ドラマでは「岡崎義実(演:たかお鷹)が亀谷(かめがやつ)に御所を建てて欲しがっているけど、頼朝はこれを突っぱねる」という筋書きみたいですが、これは本当でしょうか。

……次監臨故左典厩 義朝 之龜谷御舊跡給。即點當所。可被建御亭之由。雖有其沙汰。地形非廣。又岡崎平四郎義實爲奉訪彼没後。建一梵宇。仍被停其儀云々。

※『吾妻鏡』治承4年(1180年)10月6日条より

【意訳】(頼朝は、元八幡に参拝してから)次に亡き父の館跡を視察、ここに御所を建てようと決定します。しかし山間のため土地が狭く、また岡崎平四郎義実が義朝の菩提を弔う御堂を建てていました。そこで(静かな場所で父の菩提を弔いたい思いを義実と同じくした)頼朝は、御所の建設を取りやめにします。

史実ではむしろ頼朝の方が亀谷御所(案)に乗り気だったのを、諸事情により諦めたようです。頼朝と御家人たちとの対立を演出するためのアレンジですが、その辺りを汲んでいただけると嬉しいです。

それにしても、亡き父の館跡に御所を開きたいという思いは、生前からよほど慕っていたのでしょうか。

3ページ目 一、梶原景時帰参のこと

 

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