【鎌倉殿の13人】土肥実平が魅せた「焼亡の舞」、ボロボロの頼朝公を励ました旧跡「謡坂」:2ページ目
頼朝公さえ無事ならば……
石橋山からほど近い相模国足下郡土肥郷(現:神奈川県真鶴町辺り)を領していたため、そこから頼朝公の再起を期するべく安房国(現:千葉県南部)へ出航します。
でも現代と違い、舟は人力で漕がないと進んでくれません。そこで体力を回復させるため、出航前に一休み。
田代信綱「まったく、先日は散々でしたなぁ」
岡崎義実「あの時、梶原(景時。演:中村獅童)めが見逃してくれなんだら、今ごろ我ら草生す屍(かばね)じゃ」
土屋宗遠「然り然り……それにしても、大庭(景親。演:國村隼)の大軍に完全包囲されていた中、よくぞここまでご無事でしたなぁ」
土肥遠平「やはり佐(すけ。頼朝)殿は『天に守られて』いるんじゃなぁ」
新開実重「そうとも……佐殿さえご無事なら勝ったも同然。ここは一つ、天下草創の前祝いと参ろうぞ!」
土肥実平「然(さ)ればそれがし、舞いなど一指し……」
土佐坊昌俊「いよっ、待ってました!」
頼朝公「やれやれ……ポジティブが過ぎるわ」
これらの会話はフィクションですが、こんな感じで頼朝激励会&船出の壮行会が行われたことでしょう。
ちなみに、現場にいたとされるメンバーは以下の通り(カッコ内は実平を中心とした関係)です。
源頼朝公
土肥次郎実平(どい じろうさねひら)
土肥弥太郎遠平(どい やたろうとおひら。実平の長男)
新開荒次郎実重(しんがい あらじろうさねしげ。実平の次男)
土屋三郎宗遠(つちや さぶろうむねとお。実平の弟)
岡崎悪四郎義実(おかざき あくしろうよしざね。実平の妹婿。演:たかお鷹)
土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん。実平の預け者)
田代冠者信綱(たしろ かじゃのぶつな。工藤茂光の娘の子・外孫)※能楽「七騎落」より
この場所は実平が謡い舞ったことから、後に「謡坂(うたいざか。神奈川県真鶴町岩42)」と呼ばれるようになったのでした。