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「花の名は」都びとの侮辱に和歌で反撃した平安時代の武将・安倍宗任の教養と誇り

「花の名は」都びとの侮辱に和歌で反撃した平安時代の武将・安倍宗任の教養と誇り:2ページ目

わが国の 梅の花とは 見つれども 大宮人(おほみやびと)は いかゞいふらむ
※『平家物語』剣の巻より

【意訳】私の故郷では「梅」と呼んでいる花のように見えますが……やんごとなきお方々は、何か特別な呼び方でもしているのでしょうかね?

ただ「梅」と答えれば足りようところを、当意即妙の歌を詠んで返した宗任に、都びとらは驚きました。

奥州でも都でも、日本どこでも梅の花は梅の花……同じ日本(ひのもと)の臣民でありながら、ただ都に住んでいるというだけで、思い上がりも甚だしい。

そんな宗任の怒りと奥州人の矜持(そして皮肉)が込められた一首に、安倍一族は一矢報いた思いがしたことでしょう。

終わりに

お裁きの結果、宗任らは死一等を減じて伊予国(現:愛媛県)へ流罪となり、治暦3年(1067年)に筑前大島(現:福岡県宗像市)へ移されました。そして嘉承3年(1108年)2月4日、現地で77歳の生涯に幕を下ろします。

余談と言っては何ですが、歳月は流れて戦国時代。奥州の覇者である伊達政宗(だて まさむね)が上洛した際、やはり意地悪な都びとが桜の花枝を突き出しました。

「この花の名を、伊達殿はご存じにございましょうか?」

それを見た政宗は、「やれやれ」とばかり一句詠んでやります。

都人 梅に懲りずに 桜かな

【意訳】お前たち都びとは、かつて安倍宗任に梅の花枝を突きつけて恥をかいただろう。今度は桜か、まったく懲りないヤツらめ……。

現代ではまさか住む場所によって人の貴賤を決めつけるような方もいないでしょうが、日本全国ひいては世界中どこに住んでいても、日本人同士お互いに尊重したいですね。

※参考文献:

  • 藤原彰 監修『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2008年12月
  • 伊達宗弘『武将歌人 伊達政宗』ぎょうせい、2002年1月
 

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