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日本もアメリカ本土を攻撃していた…知られざる太平洋戦争時の「爆撃合戦」

日本もアメリカ本土を攻撃していた…知られざる太平洋戦争時の「爆撃合戦」:3ページ目

最期の爆撃「風船爆弾」

もともとこの戦争では、日米双方ともに、相手国に「上陸」されることに神経を尖らせていました。本土爆撃をし合う「爆撃合戦」の素地は最初からあったのです。

米国民も「日本軍が上陸してくるのではないか」とピリピリしていたため、政府は9月に受けた攻撃については内緒にしていたといいます。もっともその後、マスコミに知られて報道されていますが。

さて、4回目のアメリカ本土襲撃についてですが、これもアメリカによって徹底的な箝口令が敷かれ、戦後までその存在はほとんど知られていませんでした。有名な「風船爆弾」作戦です。

これは1944(昭和19)年11月から翌年春まで実施された作戦で、太平洋上空を流れるジェット気流に爆弾付きの風船を乗せてアメリカ本土まで運ばせ、山火事などの被害を起こすというものでした。

風船とはまた、のどかなイメージです。放たれた数千個の爆弾のうち、数百個がアメリカ本土に到達しました。しかしこれによって民間人6名が死亡しています。そのほとんどは子供でした。

空爆による民間人の殺傷については、その件数はアメリカには遠く及ばないものの、日本も実施していたと言えるでしょう。

さて、当時のアメリカ当局は、この風船爆弾は日本から放たれたものだとすぐに気付きます。しかしジェット気流の存在が知られていなかったため、この爆弾がアメリカを攻撃したメカニズムまでは解明されませんでした。

この正体不明の攻撃によってパニックが起こるのを防ぐため、箝口令が敷かれたのです。

以上、旧日本軍によるアメリカへの本土爆撃の事例をざっと見てきました。潜水艦を使ったり、夜闇に乗じて偵察機一機が侵入したり、風船を飛ばしたりと、忍者めいた隠密行動というかヒットアンドアウェイの暗殺に近い手法が多い気がしますね。

参考資料
社会をよくする経済ニュース
豊後高田市
歴ログ

 

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