日本もアメリカ本土を攻撃していた…知られざる太平洋戦争時の「爆撃合戦」:2ページ目
アメリカからも称賛!?
2度目のアメリカ本土への攻撃は、エルウッド製油所への攻撃から4ヶ月が過ぎた6月21日に行われました。潜水艦「伊25」が、コロンビア川の河口に建てられたオレゴン州アストリア市のフォート・スティーブン陸軍基地を攻撃したのです。
ただ、この攻撃は失敗と言ってもいい結果に終わりました。潜水艦からの砲撃は行われたものの、基地が照明を落としたので狙いが定まらず、与えた被害と言えば電話線が切れて指揮系統が混乱した程度だったようです。
逆に、米軍は空からライトを照射して伊25を補足しようとします。伊25は撤退を余儀なくされました。
いずれの攻撃も死傷者は出ていませんが、アメリカに対してはかなりの恐怖心を植え付ける結果になったようです。
そして3回目の襲撃です。これが、アメリカが受けた歴史上唯一の「空爆」に当たる攻撃で、1942(昭和17)年9月9日、潜水艦「伊25」に搭載された零式小型水上偵察機によって西海岸側から行われました。
この時、偵察機に乗っていたパイロットの名は藤田信雄飛行兵曹長。彼は作戦通りに焼夷弾をブルッキングス近郊の森林に投下するなどし、伊25に帰還しました。
この攻撃も、軍事拠点や民間人を狙ったものではありませんでした。やはり「脅し」「揺さぶり」がメインで、アメリカの士気の低下が目的だったとされています。また、これに先立つ4月にはアメリカによる日本への空襲が実施されており、これに対する報復としての意味合いもありました。
もっとも、森林を焼くだけといういまいちパッとしない内容だった上に、当時は雨だったこともありすぐ鎮火しています。世界史上唯一のアメリカ本土空爆という出来事なのに、ほとんど取り上げられることがないのは、こうした地味さゆえでもあるのでしょう。
さらに9月27日には同様の攻撃を成功させていますが、なぜかこの時の被害などについてはあまり情報がありません。
ちなみに興味深い後日談があります。
この空襲を行ったパイロットの藤田曹長は、戦後にアメリカから招待されました。彼は、アメリカ本土に降り立ったら襲われて殺されるのではないかと、いざとなったら自害する覚悟だったといいます。
しかし意外なことに、いざ訪米してみたら歓声とともに出迎えられ、「よくぞ世界史上唯一のアメリカ本土への空襲をやってのけた」と賛美され、その後も日米親善交流の役割を果たすことになりました。