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国益維持のための聖徳太子の秘策とは?「遣隋使」は隋との交流だけが目的ではなかった

国益維持のための聖徳太子の秘策とは?「遣隋使」は隋との交流だけが目的ではなかった

厩戸皇子に突き付けられていた課題

もともと彼も朝鮮半島の三国と同じように、中国を中心とした東アジア世界で自国の権益をどのように維持するか、そして拡大・強化するか、という課題に取り組んでいました。

具体的に当時の彼が対応を迫られていた問題としては、朝鮮半島南部の新羅と百済に挟まれる形で存在していた「伽耶」のことがありました。

伽耶は小国の寄せ集めでした。6世紀の半ば過ぎに新羅に併合されたのですが、倭国はこの伽耶の中の小国のひとつ「任那国」の権益はこっちのものだ、と主張していたのです。

だから倭国は、新羅に対して「伽耶の中の倭国の権益だけは引き続き保障しろ」と要求していました。

そこで、新羅が倭国にしぶしぶ差し出したのが「任那の調」と呼ばれる品物です。それは、かつて任那国から新羅の大王に献上された特産品などでした。

ところがその後、新羅はだんだん「任那の調」の献上を怠るようになります。倭国は軍事的な威嚇や実際の出兵などで脅かしますが、あまり効果はありませんでした。

そこで厩戸皇子は別の方法を考えます。それが、超大国である隋に働きかけるというものでした。

先述した朝鮮三国は、すでに隋に従属して貢物を捧げています。そこで倭国は隋から「倭国は新羅よりも上位の国である」というお墨付きをいただいて、新羅に対してさらに圧力をかけようというわけです。

そのための具体的な方法が、遣隋使でした。

3ページ目 「圧力外交」としての遣隋使

 

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