海軍の誇りよ蘇れ!不死鳥のごとく復活したその駆逐艦の名は…「梨」!?:2ページ目
『梨』から『わかば』へ…その数奇な運命
本来ならここで「梨」の一生は終わるのですが、沈没したのが浅瀬だったこともあり、1954年には民間企業が引き上げて屑鉄として再利用しようとします。
この時、沈没からすでに9年が経過していましたが、船体の状態が非常によかったことから、当時の防衛庁が買い取ることになりました。そして広島県の呉で再整備を行い、発足したばかりの海上自衛隊に護衛艦「わかば」として配属されることになったのです。
これについては、無駄なコストをかけているとして国会でもだいぶ追及されたようです。最新鋭ではない駆逐艦を引き上げて再就航させるよりも、一から新しく護衛艦を建造する方がいいのではないかと予算面で問題されたのでした。
しかし、当時の防衛庁は一貫して「梨」の再就航にこだわりました。
発足したばかりの海上自衛隊でしたが、旧日本海軍の正統な後継者として誇りをもって組織を育てていこう、という思いが防衛庁にはあったのでしょう。
当時の海自には旧日本海軍の軍人が多く在籍していました。よって、海軍軍人としての誇りを守り士気を高めるためのシンボルとして、「梨」を再利用することは必要だったのでしょう。
その後『梨』は『わかば』と名を変え、海上自衛隊が所有する唯一の旧海軍駆逐艦として活躍することになります。
1962年の三宅島噴火の際には、島民の避難のために駆け付けるなど護衛艦としての能力を十二分に発揮しました。
その後、1971年には除籍。晩年の『わかば』は、海上自衛隊のテストヘッド艦として活用されたそうです。多くの最新兵器を装備して試験に用いられ、現在の海上自衛隊で使われている数々の技術の礎となったのでした。
参考資料
・大日本帝国軍 主要兵器『梨【橘型駆逐艦 十番艦】』
・海上自衛隊が使った唯一の旧海軍駆逐艦 護衛艦「わかば」の数奇な人生 – 乗りものニュース