世俗に嫌気が差した美女!室町時代、どんなセクハラも倍返しで撃退した尼僧・慧春尼の生き方:3ページ目
エピローグ・燃え盛る炎の中で……
さて、そんな慧春尼は最期も激しいもので、応永15年(1408年)5月25日、最乗寺の山門前に柴棚を組み、その中へ入って自ら火をつけました。
要するにセルフ火炙りですが、これは単なる焼身自殺ではなく火定(かじょう。火定入滅)と言って、自らを火に投じることで自分自身の煩悩を丸ごと焼き尽くす儀式で、いわば修行のフィナーレとも言えるでしょう。
別にすべての修行僧がやる(やらねばならない)ものではなく、生きて人々を救済する道もあるのですが、禅を突き詰める慧春尼らしい最期と言えます。
「おーい、熱くないかー?」
周囲が慌てふためく中、慧明は(既に慧春尼が覚悟を固めているなら、あえてそれを邪魔すまいと)のんきに尋ねたところ、
「冷熱は生道人の知るところにあらず」
※『曹洞宗人名辞典』より【意訳】炎が冷たいか熱いかなんて、人間である私が知っていることではありません。
炎が熱いかどうかは炎に聞いて下さい。私は知りません……って、アンタがその炎に焼かれてどう感じているんだ……と常識的には聞いているのでしょうが、そんな外的要因に一切心を動かされない悟りの境地に至ったのでしょう。
この答えを聞いて慧明は大いに満足し、焼け落ちる妹の最期を見届けたのでした。死後、慧春尼の遺骨は彼女が開いた摂取庵に納められ、最乗寺境内(慧春尼堂)に祀られたのでした。
※参考文献:
- 瀬野精一郎ら編『日本古代中世人名辞典』吉川弘文館、2006年11月
- 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年11月
- 国書刊行会『曹洞宗人名辞典』国書刊行会、1977年12月