譲り合いが過ぎる!兄に皇位を譲るため、自殺してしまった皇族・菟道稚郎子のエピソード:2ページ目
宇治川を船で渡る際、渡し守に化けた菟道稚郎子が船をひっくり返し、敵をことごとく溺死させたそうです。
「あぁ、兄上のお陰で助かった。兄上のように賢い方が治めてこそ、国民は安心できるだろう。どうか私に代わって、皇位を継承していただきたい」
いきなりそんなことを言われても、大鷦鷯尊は戸惑ってしまいます。
「いやいや、そんなつもりで助けたのではない。亡き父帝がしっかりと見込んだそなたこそ、正当な皇位継承者であろう。過剰な気遣いは無用ぞ」
……とまぁそんな具合に譲り合い続けること3年間。どうしても皇位を譲ろうとして聞かない菟道稚郎子は、とうとう自殺してしまったのでした。
そうなってしまうと生き残った大鷦鷯尊が皇位に就かざるを得ず、ここに譲り合い問題は終止符を打ったのです。
(なお、本当に皇位を継承すべきか確認するため、自殺した菟道稚郎子の魂を一度呼び戻し、改めて意思を確認する遺言を聞いたと言います)
これを美談として『日本書紀』は伝えていますが、何もそこまで意固地にならずとも、助け合いながら政治を執ればよかったのでは……と思ってしまうのは、たぶん筆者だけではないでしょう。
そもそも天皇陛下が空位の期間は政治が停滞してしまう訳ですし、国民としてみれば「どっちでもいいから早く就いて下さい」と思っていたかも知れませんね。
終わりに
ちなみに、このエピソードは『日本書紀』のみで『古事記』では単に夭折(若くして亡くなった)と伝えられています。
また『播磨国風土記』には「宇治天皇(うじのすめらみこと)」と表記されるなど、「父帝の崩御後、すぐ即位したけど間もなく亡くなった説」や「その死因は仁徳天皇による謀殺である説」など、史料の解釈を巡って諸説あるようです。
美しい兄弟愛も譲り合いの精神も素敵ですが、何でも匙加減が一番。そんなことを教えてくれるエピソードでした。
※参考文献:
- 坂本太郎ら監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、2010年11月
- 『日本歴史地名大系 第26巻 京都府の地名』平凡社、1981年1月