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3人の子どもを刺し自害。あの豊臣秀吉をも苦しめた戦国最強の女性・別所波の生涯

3人の子どもを刺し自害。あの豊臣秀吉をも苦しめた戦国最強の女性・別所波の生涯

別所波が活躍した三木合戦

当時の三木城の城主は別所長治でしたが、若かった彼をサポートしたのが叔父である別所吉親でした。そして、その戦いには妻の別所波も参加したそうです。

この戦いのなかで秀吉は竹中半兵衛を病で失うなど、痛手を負っていました。それに加えて、別所氏側は奇襲をしかけます。波は、夜襲の際に次々と敵兵を斬っていったとか。秀吉は、この夜襲がきっかけで一度姫路に撤退しています。

波の最期

善戦した別所氏ですが、そう簡単に終わらないのが秀吉。彼は再び三木城へ向かい、今度は兵糧攻めに出ます。

別所氏の情勢は急激に悪化していきました。波は敵に矢を放ち、馬に乗って城門の外へ斬りこんでいきます。しかし、秀吉は自軍に向かって「女一人と戦うなんて大人げない」と制止します。

波は攻撃を逃れますが、天正8年(1580年)1月に別所氏は降伏します。その際、波は3人の子どもを刺したあと、自害したと言われています。生年不詳ではありますが、自害した際は20代後半・28歳だったと言われています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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