あまりの美しさが招いた悲劇?日本神話が描く兄妹の近親相姦エピソード:2ページ目
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美しい側室を迎えたものの…『日本書紀』
一方の『日本書紀』だと衣通姫は允恭天皇の皇后である忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)の妹・弟姫(おとひめ)のことを指しており、允恭天皇の寵愛を受けたものの、皇后がこれに嫉妬。
一度は入内したものの遠くに移住させられ、允恭天皇は遊猟にかこつけて通い続けたものの、皇后の目もあり、やがて疎遠になったと言われています。
また允恭天皇24年(435年)に木梨軽皇子が軽大娘皇女と通じたのは『古事記』と同じですが、『日本書紀』では即座に軽大娘皇女だけを伊予国姫原へ追放。そのまま二人が再会することはありませんでした。
木梨軽皇子は允恭天皇の崩御後、穴穂皇子との後継者争いに敗れ、自害して果てたということです。
終わりに
衣通姫とは『古事記』だと允恭天皇の娘である軽大娘皇女、『日本書紀』では允恭天皇の側室(皇后の妹)である弟姫とそれぞれ違いますが、昔から美人薄命と言うように、どちらもあまり幸せな生涯は送れませんでした。
着衣を貫き通すほどに輝く美しさも素晴らしい賜物ですが、やはり幸せに生きられるのが一番ですね。
※参考文献:
- 井上光貞ら『日本書紀(二)』岩波文庫、1994年10月
- 蓮田善明『現代語訳 古事記』岩波現代文庫、2013年9月
- 渡邊大門『流罪の日本史』ちくま新書、2017年11月
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