お前らには屈しない!死を覚悟の「お尻ペンペン」で人間の誇りを守り抜いた武将・調伊企儺:2ページ目
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逆らえば殺される状況下で必死の反抗……どうせ従ったって殺されるんだし、それなら徹底的に逆らってくれようという心意気は、大人げなくも実に痛快なパフォーマンスです。
「てめぇ、この野郎!」「ぶっ殺してやる!」
「バーカ、バーカ、おしーりペーンペン……!」
ドカ、バキ、グシャ……結局、調伊企儺は新羅の将兵によって嬲り殺しにされ、息子の調舅子(おじこ)も父の遺骸を抱きながら死んだ(恐らく殺された)のでした。
エピローグ・妻の辞世
同じく捕らわれていた調伊企儺の妻・大葉子(おおばこ)は、このように詠んだと言います。
からくにの きのへにたちて おほばこは ひれふらすも やまとへむきて
韓国(からくに)の 城(き)の上(え)に立ちて 大葉子は 領布(ひれ)振らすも 日本(やまと)へ向きて
【意訳】新羅の城に囚われている私ですが、首にかけた布が振れる=ひれ伏すのは日本の方角……祖国への愛情は、いつまでも失われません。
夫と息子を喪って、待っているのは凌辱か死か両方か……それでも日本への愛情を忘れない、そんな思いを詠んだ(恐らくは辞世の)歌に、人々は涙したそうです。
人間、誰でも我が身は可愛いけれど、たとえ死んでも(殺されようと)捨てられないものもある……調伊企儺たちの最期は、あくまで人間としての誇りを守り通した教訓として、現代に伝えられています。
※参考文献:
- 宇治谷孟『日本書紀 (下)』講談社学術文庫、1988年8月
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年4月
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