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奪還!奪還!また奪還!「逃げ上手」武将・北条時行が見せた鎌倉武人の意地

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みたび奪還、逃走、そして…

さて時行はと言えば、尊氏の討伐を逃れ再び姿を消すのですが、その後の南北朝の内乱では後醍醐天皇に許されて南朝側の将となり、再び挙兵しています。

この時には、鎮守府大将軍である北畠顕家や新田義貞の子・義興と共に足利家長(斯波家長)を破り、2度目となる鎌倉奪還を果たしています。もっとも、これもその後の石津の戦いを通して奪い返されてしまいます。

またしても時行はここで身を隠し、南朝側の武将として各地を転戦しました。そして1352年の武蔵野合戦を経て、みたび鎌倉を奪還するというしぶとさを見せます。

しかし、これが時行最後の「鎌倉奪還」でした。小手指原の戦いで足利尊氏は鎌倉を奪い返し、京も制圧します。この頃には南朝の勢力も衰退し、幕府の勢力が全国的に及ぶようになっていました。

それでも時行は逃げのび、再び逃走と潜伏の日々に戻ります。4度目の鎌倉奪還を目指していたと思われますが、もはや味方になる武士もおらず、1353年6月21日には足利側に引き渡され、処刑されています。

この時、年齢は20代半ばだったと考えられ、折しも処刑から2日後の5月22日は、鎌倉幕府の滅亡と父高時の死からちょうど20年目でした。

漫画『逃げ上手の若君』の今後の展開のことを考えながら、時行の足跡をこうして辿るのは感慨深いものがあります。この、逃走・鎌倉奪還・そしてまた逃走を繰り返した「忘れられた敗将」が北条氏再興を果たしていたら歴史はどうなっていたのでしょうね。

参考資料
・鈴木由美『中先代の乱-北条時行、鎌倉幕府再興の夢』2021年、中公新書

 

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