国際連盟脱退も、実は日本は「孤立」していなかった!?松岡洋右「堂々退場」の本当の理由とは

なぜ日本は「除名」「経済制裁」を受けなかったのか?

戦前の日本史について「なぜ日本はあの戦争を避けられなかったのか」というテーマで調べていると、満州国の建国を国際連盟が認めなかった、という話が必ず出てきます。

関東軍が「暴走」して作ってしまった満州国。これが侵略と言えるかどうかが当時の国際連盟で議論され、その結果、連盟は満州国での中国の主権を認めて日本を非難する「非難勧告」を決議しました。

歴史の教科書では、この「非難勧告」を受けて頭に来た日本全権団が、席を立ち椅子を蹴って、「国際連盟から脱退する!」と宣言してその場を後にした……みたいなニュアンスのことが書かれています。

しかしそれが本当なら日本は国際連盟から脱退して、国際社会で孤立して、西欧諸国と対立していたはずです。それなのにその後、経済制裁も何も受けていません。この時本当は一体何があったのでしょうか? 日本と国際社会の関係は、悪化していなかったのでしょうか?

戦前の日本は、戦後にイメージされるような、骨の髄まで軍国主義に染まった侵略国家などではありませんでした。政府も、中国で関東軍が「暴走」してなし崩しに満州国が建国されてしまったのを国際関係的に非常にまずいと考えていたのです。

で、日中関係を少しでも修復するために、当時の斎藤内閣が取った手段が「リットン調査団(国際連盟日支紛争調査委員会)の派遣」でした。当時の幣原喜重郎外相の発案で、「満州国が是か非か、中立のイギリスから調査してもらって国際連盟で結論を出してもらおう」ということになったのです。

当時は日本とイギリスは大変仲が良かったので、日中関係の改善のためにイギリスに取りなしてもらおうというわけです。

実際には、調査する前に日本の議会で満州国が承認されてしまうという不測の事態が起きて、リットン卿を怒らせてしまうというすれ違いが起きたりもしました。ともあれ、調査は完了します。

3ページ目 松岡洋右「堂々退場」の理由

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