秀吉の死因は狐の祟り!?稲荷大明神を恫喝した秀吉の末路が怖すぎる:2ページ目
迎えた養子でさえ不運に見舞われる
子宝に恵まれなかった秀吉は、家臣の1人であった前田利家の娘、豪姫を幼女として迎えています。生まれた子を養子としてを迎えることは、生まれる前から決まっていました。
秀吉が養子を迎える日、心待ちにしていたことが伺えるでしょう。
実際、正室のねねと共に豪姫を溺愛したと言われています。ところが豪姫も病弱でした。
豪姫が病に伏すたび、神楽を踊らせては無事の回復を祈ったと言われています。
その後豪姫は宇喜多秀家に嫁いだものの、出産の度に寝込んでいました。秀吉は何かがおかしいと、僧侶や有識者を集めて原因を探ったところ、狐が豪姫に取り憑いて苦しめているのだとお告げを受けます。
怒りの全ての矛先が狐に向けられる
豪姫を苦しめているのは狐である。
そう聞いた秀吉は烈火の如く怒り、自ら京都の伏見稲荷大社にあてて、手紙をしたためました。 それの手紙の最後に記されたのが、冒頭の脅迫文です。
京都の伏見稲荷大社といえば、お稲荷さんとして人々から親しまれ、狐を祀る神社の総本宮。稲荷神社は全国に約3万社あると言われ、平安遷都より古い歴史を誇ると言われています。
中でも伏見稲荷大社の正門は、秀吉自身が造営したと伝えられているほど、懇意であったはず。それだけに「我が愛しの豪姫を苦しめるとは何事か!」とばかりに、秀吉の怒りは爆発したのでしょう。
日本中の狐を殲滅するなどという物騒で子供じみた言葉が出てくるほど、秀吉が我を失い、怒り心頭であったことが伺われます。