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言葉の壁を乗り越えるには?遣唐使として海を渡った貴族・橘逸勢のエピソード

言葉の壁を乗り越えるには?遣唐使として海を渡った貴族・橘逸勢のエピソード

エピローグ

かくして書道の大家となった橘逸勢でしたが、あまり出世はしなかったようで、すっかり年老いた承和7年(840年)に但馬権守(現:兵庫県北部の仮任国司)となったものの、老齢と病のため出仕はせず、隠居状態だったそうです。

そんな逸勢でしたが朝廷の皇位継承争い(承和の変)に巻き込まれて謀叛の疑いをかけられ、伊豆国(現:静岡県伊豆半島)へ流罪となってしまいました。

承和9年(842年)8月13日、伊豆国への道中で病没。寂しい最期を迎えましたが、後に潔白が証明されて嘉祥3年(850年)、仁寿3年(853年)に位階を追贈され、名誉を回復したのです。

しかし罪なくして非業の死を遂げた逸勢は怨霊になったと考えられており、貞観5年(863年)にはそれぞれ非業の死を遂げた伊予親王(いよしんのう)、早良親王(さわらしんのう)、文屋宮田麻呂(ふんやの みやたまろ)らと共に祀られ、現代に至ります。

晩年こそ寂しいものでしたが、かつて言葉の壁に挑んで海を渡り、果敢に乗り越えた逸勢の姿は、現代の私たちにも勇気を与えてくれるのではないでしょうか。

※参考文献:

  • 後藤隆之 編『歴史人 9 No.129』ABCアーク、2021年8月
  • 保立道久『平安王朝』岩波新書、1996年11月
 

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