足利尊氏?高師直?あの有名な肖像画の騎馬武者は、どうしてザンバラ髪なの?:2ページ目
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生死を共に戦う覚悟
建武2年(1335年)11月、朝廷から謀叛の疑いをかけられた尊氏は赦免を求めて断髪、恭順の意を示すものの許されず、やむなく叛旗を翻しました。
その時、御家人たちも決死の覚悟を共にするべく髪を一束切(いっそくぎり)にしたと言います。
……されば其比(そのころ)鎌倉中の軍勢共が、一束切とて髻を短くしけるは、将軍の髪を紛(まぎら)かさんが為也(ためなり)けり。……
※『太平記』巻第十四「矢矧、鷺坂、手超河原闘事」より
一束切とは、髻(もとどり。髪の根元)を握りこぶし一束(ひとつか。一掴み)分のところで髪をバッサリ切ること、または切った髪型を言い、再び結うのが難しいことから、基本的に死を覚悟した時の決意表明となります。
現代でも「髪は女の命」などと言いますが、かつては男性にとっても髪は人間としての尊厳と矜持、すなわち命を示すものでした(だからこそ、尊氏は髪を切って赦免を乞うたのでした)。
「ここに命を捨てたる上は、我ら一同、冥土までお供仕る!」
「そなたら……」
「野郎ども、行くぞ!」
「「「おおぅ……っ!」」」
そんな勇壮な出撃シーンを描いたのが、先の騎馬像となります。これが尊氏か、あるいは高師直(あるいは他の一族)かについてはいまだ決着がついていないものの、かつて髪を断ち切って決戦に臨んだ荒武者の心意気が、歳月を越えて私たちの胸を打ちます。
※参考文献:
- 江田郁夫ら編『足利尊氏再発見 一族をめぐる肖像・仏像・古文書』吉川弘文館、2011年10月
- 佐藤進一『日本の歴史9 南北朝の動乱』中公文庫、2005年1月
- 森茂暁『足利尊氏』角川選書、2017年3月
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