無理やり馬との性交強要も…嘘か誠か「武烈天皇」の残虐すぎるエピソードの数々:2ページ目
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古事記に記された武烈天皇
一方、古事記に記された武烈天皇のエピソードには残虐なものはありません。
たとえば、武烈天皇は8年間天下を収めたが、太子(息子)がいなかったため、小長谷部(オハツセベ)を太子の代わりとして定めたこと。しかし、武烈天皇が崩御した後も小長谷部の存在を知らせる王がいなかったなど、ごくわずかな内容しか記されていないのです。
こういった違いには、「記した人間がどういった立場だったのか」といったことが影響しているのではないかといわれています。
なぜなら、日本書紀は政府側の人間が記したもので、古事記は歴代天皇が部下に書かせたものだからです。
諸説ありますが、日本書紀にて武烈天皇の残虐なエピソードが記されたのには、武烈天皇の次に即位予定だった継体天皇の即位を正当化させる狙いがあったのではないかとも言われています。
そもそも存在しなかった?
武烈天皇が在位していた期間は8年。齢10歳にして即位し、18歳で崩御したと言われていますが、諸説ありハッキリとはわかっていません。
また日本書紀と古事記とでは、まったく違った姿で描かれていることから、「武烈天皇は存在していなかったのではないか?」といった説もあります。
存在自体も謎に包まれる武烈天皇、新たな発見などにより、真の姿が解き明かされる日が来るかもしれません。
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