すべて悪霊の仕業!天皇陛下をボコボコにしてしまった平安時代のトンデモ女官:2ページ目
民部掌侍はそれでも暴行をやめず、結局後から駆けつけた蔵人(くろうど。男性の官人)らによって取り押さえられたのでした。
「ふぅ……」
すっかりボロボロになってしまった三条天皇の姿を見て、その労(いたわ)しさに誰もが涙せずにはいられません。
「この万死に値する不敬者は、極刑をもって処断すべきでしょう!」
常識的にそう思われましたが、どういう訳かそうはなりませんでした。一体なぜでしょうか。
「……わたくしが解説いたしましょう」
訳知り顔で表れたのは、左大臣の藤原道長(ふじわらの みちなが)。
「この女もむしろ被害者なのです」
一体どういうことか……道長の曰く、今回の暴行事件は悪霊が引き起こしたものであり、その悪霊はもともと三条天皇に憑りつき、苦しめていたところ、加持祈祷の成果によって三条天皇から追い祓われ、民部掌侍に乗り移ってしまったのだとか。
「すべては悪霊が悪いのですから、この女は無罪放免とすべきでしょう。むしろ陛下の代わりに悪霊を引き受けたのですから、その献身を褒めてもよいくらいかと」
ニヤニヤしながら道長は続けます。
「そもそも、男が女に殴られたくらいであれこれ騒ぎ立てるのは、いささかみっともない気がせぬでもありませぬゆえ、ここは不問に処されるがよいかと……」
「むぅ……」
腑に落ちない三条天皇でしたが、結局のところ民部掌侍については不問とされたのでした。
もしかしたら、彼女は道長の息がかかっていたから、屁理屈をこね出してかばったのかも知れません。
エピローグ
その後、三条天皇は道長からの圧力によって第二皇子の敦成親王(あつひらしんのう。後一条天皇)に譲位させられ、間もなく出家。
寛仁元年(1017年)5月9日に崩御され、42歳の生涯に幕を下ろしました。
心にも あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき 夜半の月かな※『小倉百人一首』より、六十八番 三条院
【意訳】もはやこの世に未練もなく生きているが、今夜の月の美しさばかりは名残惜しい……
こちらは三条天皇が譲位に際して詠んだ御製(ぎょせい。天皇陛下の詠まれる和歌)ですが、権力を壟断する道長はじめ藤原一族との政争に疲れ果てた様子が偲ばれます。
(それでも私は、誰も傷つけたくはなかった。藤原家の壟断から、大切なものを守りたかった)
藤原一族の傀儡にはなるまいと、限られた状況下で苦闘し続けた三条天皇の生涯は、まるで民部掌侍に殴られ蹴られしながらも稚(いとけな)い童子を守り抜いた姿に象徴されるようです。
※参考文献:
- 繁田信一『殴り合う貴族たち』角川ソフィア文庫、2008年11月
- 堀江宏樹ら『乙女の日本史』東京書籍、2009年7月