がんばる姿が愛らしい『源氏物語』のヒロイン?おてんば少女「近江の君」の姫さま修行:2ページ目
「う~ん……」
一方の玉鬘は、同じく下民の間で育っていたにもかかわらず、真綿が水を吸い込むように美しく、雅びやかに成長。近江の君とはまるで正反対でした。
こんな娘を野放しにしておいたら、自分の面子が丸つぶれだ……頭中将はしだいに近江の君を疎むようになります。
気持ちは解らなくもありませんが、自分の都合で呼んでおいて、気に入らなければ粗末に扱うというのは、いくらなんでも身勝手ではないでしょうか。
「う~ん……」
そんな父親の姿を見て(会いに来てくれないけど)、近江の君も悩みます。
「お父ちゃんが可愛がってくれるように、あたいがもっとがんばらなくちゃ!」
とまぁ実に健気な近江の君は、どうにか父親に気に入ってもらえるよう、あれこれとがんばるのですが、そのベクトルが根本的に間違っていたため、よりいっそう評判を落とし、ますます嫌われてしまうという悪循環に。
「……ちぇっ、何さ何さ。あたい、あんなにがんばってお便所掃除までしたのにさ!」
どこまで行っても、貴族社会における「がんばる」が理解できないまま、近江の君は物語からフェイドアウトしていくのでした……。
(創作では「もう貴族なんかやめた、帰ろ帰ろ!」と、自由を求めて旅立っていく様子が挿入されることもあります)
終わりに
……とまぁこんな具合にさんざんな近江の君でしたが、どうしてこんなに散々かつ玉鬘と対照的なのでしょうか。
どうやらこれらのエピソードは「女の子のお作法教科書」的な側面を持っていたと言われ、玉鬘がよいお手本、一方の近江の君は悪いお手本として、対極的に描かれたそうです。
ちなみに、近江の君にはモデルがいたらしく、一説には作者・紫式部(むらさきしきぶ)の夫・藤原宣孝(ふじわらの のぶたか)の愛人「近江守女(おうみのかみのむすめ)」などと言われています(実際にお転婆だったのではなく、恐らく単に名前を借りてきただけでしょう)。
それはそうと、貴婦人としては残念だった近江の君ですが、その元気いっぱいにがんばる姿は何とも愛らしく、とても応援したくなる魅力的なキャラクターとしてご贔屓いただけると嬉しいです。
※参考文献:
- 秋山虔 編『源氏物語事典』学燈社、1989年5月
- 上原作和 編『人物で読む源氏物語 玉鬘』勉誠出版、2006年5月