弟は信長に溺愛された美少年、自分は鬼!?鬼武蔵と呼ばれた武将・森長可の生涯と人柄
みなさんは、森長可(もりながよし)という人物の名前を聞いたことがありますか?あまり有名ではないかもしれませんが、実は弟は織田信長の小姓として有名な森蘭丸(もりらんまる)。
そして、森長可自身は、勇猛果敢で「鬼武蔵」と呼ばれるほど。今回の記事では、そんな森長可についてご紹介したいと思います!
森長可の人生
森長可(もりながよし)は、永禄元年(1558年)に森可成の次男として生まれました。父と長男が同じ年に戦死してしまったため、長可は13歳で家督を継ぎ、織田信長に仕えるようになりました。
ちなみに、森長可は信長から気に入りられ、「長」という一文字を彼からもらっています。
甲州征討の際に大きな功績をあげたことから、信長から信濃川中島四郡と海津城20万石を恩賞として与えられています。これは、織田家臣団の若者世代のあいだでは一番の待遇でした。
しかし、本能寺の変で事態は急変。主君に加え弟の蘭丸らも亡くなってしまいました。旧領の金山にもどり、あらゆる勢力を一年余りで殲滅し、なんとか勢力を拡大しました。
しかし、彼にも最期は訪れます。その後豊臣秀吉についた森長可ですが、小牧・長久手の戦いで、徳川家康からの奇襲を受け負けてしまいます。その後も別の部隊に加わりますが、その途中、徳川四天王の一人・井伊直政の軍の水野勝成(または安藤直次の説もあり)に撃たれなくなります。27歳という若さでした。
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