20,000対763名!戦国武将・高橋紹運が魅せた武士の心意気と壮絶な最期【下】

前回のあらすじ

戦国時代、九州の大友義鎮(おおとも よししげ。大友宗麟)に仕えていた高橋紹運(たかはし じょううん)は、島津忠長(しまづ ただなが)率いる20,000の大軍を迎え撃つべく、763名の兵で岩屋城に立て籠もります。

その兵力差は26倍以上……1日で陥落すると思われたものの、紹運らの果敢な抵抗によって攻防戦は半月以上にも及び、島津方にも多大な犠牲を出しました。

「もう貴殿は十分に戦われた。手厚く遇するゆえ、速やかに降られよ!」

そんな忠長の勧告に対して、紹運の回答は……?

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20,000対763名!戦国武将・高橋紹運が魅せた武士の心意気と壮絶な最期【上】

羽振りのよい時は鬱陶しいくらいすり寄ってくるくせに、ひとたび運が尽きたとなれば、たちまち手のひらを返して恥じない輩の、まぁ実に多いことでしょうか。まぁ人間そんなものだからこそ、忠義とか誠意なん…

敵も味方も大歓声!紹運が魅せた武士の心意気

紹運は開口一声、忠長らを怒鳴りつけます。

「主君が栄えている時は誰もが忠義ヅラをして奉公に勤しみ、功名を競い合うが、ひとたび主君が衰運たるや、なおも一命を奉じる者は稀なり。貴公もまた、島津の御家が衰えたならば、主君を裏切って他家へ走るのか!

「いや、そのような……」

「命は一代、名は末代!主君が衰亡の危機にある今、我ら一死もってお支えすることこそ、武門の誇りである!

「「「そうだ!」」」

「「「いいぞ!」」」

紹運の心意気を聞いた者たちは、敵も味方もなく大歓声を上げたと言います。力に媚び入り、卑しく命を永らえて何になる。それまで渋々と島津に臣従していた者たちは我が身を恥じ、鬱屈した思いを解き放ったのでした。

「参るぞ者ども、最後の斬り込みじゃ!」

「「「おおぅ……っ!」」」

わずかに生き残った城兵を率いて紹運は島津の大軍へ斬り込みをかけ、悪鬼羅刹のごとく暴れ回って紹運自身も敵兵17名を斬り捨てる大奮闘。

そして最後は城内の高楼へ登って切腹。残った者も誰一人降ることなく全員が自刃して果てました。

かくして7月27日、ようやく岩屋城は陥落。島津方は約3,000の犠牲を払ったということです。

3ページ目 エピローグ・紹運からの書状

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