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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では誰が演じる?北条義時が熱愛した正室・姫の前

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では誰が演じる?北条義時が熱愛した正室・姫の前

何度フラれても諦めない義時

「そなたに一目惚れしてこの方、ひとときたりとも忘れられぬ……どうか、我が妻となっては下さらぬか!」

「しつこいっ!」

何度となく断っても繰り返し消息(手紙。ここではラブレター)を送って来る義時に、姫の前は辟易します。現代ならストーカー認定間違いなしですね。

時は建久2年(1191年)、義時は29歳、長男の北条泰時(やすとき)は9歳になっていました。

現代なら「妻子持ちのくせに、他の女に色目を使うなんてサイテー!」と思ってしまいますが、泰時の母である阿波局(あわのつぼね。義時の妹とは別人)は身分が低かったため、正式な妻とはしていなかったのです。

だから大丈夫……いや、やっぱり現代的にはサイテーですが、当時の武士たちにとって「キチンとした妻を迎えて、その実家から支援を受ける」ことは勢力基盤を固める上で重要な問題でした。

(つまり、阿波局の実家である佐々木一族とは顔つなぎ程度につき合い、姫の前の実家である比企一族のバックアップを得たかった意図もあったでしょう)

「ちゃんと正室としてお迎えいたしますからっ!」

「そういう問題じゃありませんっ!」

とまぁ、そんなすったもんだが一年にも及んだと言いますから、二人のことはきっと鎌倉じゅうの噂となっていたことでしょう。

「……また小四郎(義時の通称)がフラれたってよ」

「姫様も、あれだけ惚れられれば女冥利も尽きようが、やっぱり嫌なモノは嫌じゃろうな」

「しかしまぁ、花は咲けば必ず散るもの……その花びらが、小四郎の手に落ちればいいがのぅ」

「どっちが根負けするか、賭けるかい?」

市井の噂にお互いうんざりしていた義時と姫の前。いい加減この問題に決着をつけてもらうべく、二人揃って頼朝公の前に訴え出ました。

「御殿、どうにか(結婚できるよう、姫の前を説得)して下され!」

「御殿、どうにか(義時が諦めてくれるよう、説得)して下され!」

まったく同じ二人のセリフ、意味は真逆なんだろうな……頼朝公は苦笑い。

「まぁ……そなたらの噂はかねがね聞いておったが……時に小四郎。この姫の前が我が意中なることは知っておるな」

「は」

「なればこそ、滅多な者に引き合わせとうはないが、他ならぬそなたがたって(の願い)とあらば、考えぬでもない」

「「……!」」

内心で義時はガッツポーズ、姫の前は落胆した様子が手に取るようにわかります。

「じゃが、これほどの美女を手放すのであるから、おいそれと捨ててしまうようでは仲介する我が沽券にもかかわる。よって『決して離縁せぬ』と起請文を進ぜよ」

離別を致すべからざるのむね、起請文を取りて行き向かふべきのよし

「ははあ、天地神明に誓って離縁致しませぬ……!」

姫の前を正室に迎えられるなら、起請文など何枚でも書いてやる……かくして建久3年(1192年)9月25日、義時は頼朝の仲介によって姫の前を正室に迎えたということです。

3ページ目 エピローグ・男たち女たちの駆け引きは続く

 

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