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なんと美しい!新聞の付録として絵師・月岡芳年が描いた徳川慶喜の正室・美賀君の浮世絵を解説

なんと美しい!新聞の付録として絵師・月岡芳年が描いた徳川慶喜の正室・美賀君の浮世絵を解説

帯柄には

 

次は帯の柄を見てみましょう。帯に描かれているのは‘唐草文様’です。唐草は蔓が絡まるように伸びあい、長寿延命・子孫繁栄の象徴として古来から描かれた模様です。

「長寿延命・子孫繁栄」こそが征夷大将軍徳川慶喜の正室である美賀君に望まれたものだったのではないでしょうか。

美賀君は幸せだったのか

実際の美賀君は初めて産んだ女子をその20日後に亡くしてしまいます。その娘の一周忌の法要に夫の慶喜は出席しませんでした。その後、美賀君は子を授かることはなかったのです。

慶喜は将軍後見職となったため京に向かい、その後の明治維新で征夷大将軍の職を辞し静岡に移り住むまでの約10年程の間、美賀君は別居状態で江戸の一条徳川邸に暮らしていました。

美賀君は静岡へ移り住み、初めて慶喜とともに暮らすようになりました。

しかし慶喜は静岡へ二人の側室を連れて住んでおり、側室との間に21人の子供をもうけるのです。

前述の、月岡芳年が書いたように、美賀君が本当に心根の優しい人であったなら、美賀君の生涯は果たして幸せだったのでしょうか。幸せだったと思いたいです。

美賀君の辞世の句があります。

かくはかり うたて別をするか路に つきぬ名残は ふちのしらゆき

(完)

 

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