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俺たちは用済みか!明治維新後、リストラされた奇兵隊や長州志士たちの叛乱「脱隊騒動」

俺たちは用済みか!明治維新後、リストラされた奇兵隊や長州志士たちの叛乱「脱隊騒動」:2ページ目

俺たちは用済みか!怒れる志士たちの叛乱

「おい、一体どういうことだよ!」

明治2年(1869年)11月25日、長州藩主から山口藩知事となった毛利元徳(もとのり)から出された布告に、奇兵隊士らは騒然としました。

布告は「現在、財政難であるから、臨時に雇っていた奇兵隊ら義勇軍約5,000名のうち、約2,000名を除き全員リストラする」というものです。

約2,000名については御親兵(ごしんぺい。藩主の親衛隊)として改めて召し抱えるということですが、その選抜基準も武功ではなく身分や家柄が重視され、もともと武士だったものに限られました。

「ふざけるな!困った時は『身分も家柄も問わぬ』など共に戦わせておきながら、いざ幕府を倒して御一新なれば、もはや用済みとばかり、血を流した同志を切り捨てるのか!」

11月30日、この処置に納得できない長島義輔(ながしま ぎすけ。旧奇兵隊)や藤山佐熊(ふじやま すけくま。旧振武隊)、富永有隣(とみなが ゆうりん。旧鋭武隊)ら約1,200名は各隊を離脱。

これが後世に伝わる「脱隊騒動(だったいそうどう)」の幕開けで、明治3年(1870年)1月13日に浜田裁判所(現:島根県大田市)を襲撃。1月24日には彼らをなだめるためにやってきた知事を、山口藩議事館(現:山口県庁舎)に包囲してしまいます。

「御恩なき主君に奉公など要らぬ……野郎ども、これから第二の世直しじゃ!」

討伐にやって来た藩知事の軍勢も撃退し、混乱に乗じて決起した農民一揆なども吸収して約1,800名に膨れ上がった脱隊軍はますます士気旺盛、このままでは知事の命さえ危ない状況です。

3ページ目 激戦の末に敗北

 

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