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大河ドラマ「青天を衝け」で渋沢栄一の人生を変えた男・平岡円四郎の生涯

大河ドラマ「青天を衝け」で渋沢栄一の人生を変えた男・平岡円四郎の生涯

公武合体を主導し「天下の権」を握った?円四郎

苦しい時期を乗り越え、忠節を貫いた円四郎は慶喜の信頼を勝ち取り、文久3年(1863年)に慶喜が上洛し、将軍家茂の名代として朝廷と公武合体および攘夷の決行について協議した際も大いに貢献。その活躍ぶりは人々から

「天下の権朝廷に在るべくして在らず幕府に在り、幕府に在るべくして在らず一橋に在り、一橋に在るべくして在らず平岡・黒川に在り」

【意訳】天下を治める権力は朝廷が持つべきところを幕府が握っており、いや、幕府でなく一橋(慶喜)が、いや、一橋でなく平岡円四郎と黒川嘉兵衛(くろかわ かへゑ。慶喜の家臣)が握っているのだ。

……などと噂されるほどでした。

ちなみに、このころ攘夷計画(横浜外国人居留地の焼き討ち)を断念して京都へやって来たものの、尊皇攘夷派の衰退によって活動に行き詰まっていた栄一を慶喜に仕えるよう説得。彼の運命を大きく変えることになります。

そんな円四郎ですが、京都で朝廷と幕府の融合を図る公武合体に反対する者の怨みを買い、元治元年(1864年)6月16日、水戸藩士の江幡広光(えばた ひろみつ)、林忠五郎(はやし ちゅうごろう)らによって暗殺されてしまいました。

「公武合体などと、畏れ多くも君臣の義(主君である朝廷と、家臣である幕府との守るべき一線)を侵す不届き者に天誅じゃ!」

尊皇思想の強い水戸藩では、朝廷と幕府が一体≒同列になって日本のかじ取りをするという発想自体が許せなかった(あくまで朝廷の権威に基づき、幕府が世俗の権力を行使する構造を理想とした)のかも知れません。

かくして志半ばに命を落とした円四郎は享年43歳。つい2週間前(6月2日)近江守の官職に叙任され、ますますの活躍を期待されていた矢先の不幸でした。

3ページ目 クセのあるキャラクターも平岡円四郎の持ち味

 

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