幕末の女スパイ?尊王攘夷の志士たちを葬り去った井伊直弼の愛人・村山たかの末路【後編】
前編のあらすじ
時は幕末、しがない寺侍の養女・村山たかは近江国彦根藩(現:滋賀県彦根市)のお殿様に奉公したり、京都祇園で芸妓になったり、紆余曲折の人生を送ります。
夢破れて我が子(後に元服して多田帯刀-ただ たてわき)を抱え、故郷の彦根に出戻った『たか』は、我が子の成長を見守る一方、彦根城下でくすぶっていた井伊直弼(いい なおすけ)と出逢うのでした。
前回の記事
幕末の女スパイ?尊王攘夷の志士たちを葬り去った井伊直弼の愛人・村山たかの末路【前編】
井伊直弼の出世を見届け……
「わしは一生、ここで埋もれていくのじゃ……」
武家に生まれながら長男ではなく、また養子(≒他家の跡を取る)の縁談にも恵まれずにいた直弼は、自ら「埋木舎(うもれぎのや)」と命名した邸宅で、17~32歳までの15年間にわたり不遇をかこつていたのでした。
この時期に『たか』は直弼と出逢い、惹かれ合って情交に及んだと言います。
「大丈夫、あなたはきっと立身出世して、大きなお仕事をなされます。私には解ります」
「左様か……その言葉を励みに、せいぜい精進いたそうかのぅ」
『たか』の励ましが効いたのかはともかく、やがて直弼に転機が訪れ、あれよあれよとお鉢が回った嘉永3年(1850年)、井伊直亮(なおあき)の跡を継いで彦根藩主となったのでした。
「この度は家督を継がれまして、誠に祝着至極に存じまする……」
「うむ、これもそなたが励ましてお陰やも知れぬ。これからは大いに腕を奮って参ろうぞ……」
彦根藩政の改革で実績を上げた直弼はやがて幕政にも関与するようになり、ついに安政5年(1858年)、江戸幕府の大老を拝命します。
「将軍様をお助けするため、江戸にゆかねばならぬ。大老の立場上、また畳の暖まる暇もなき激務ゆえ、そなたを連れてはゆけぬが、我が師であり懐刀である長野主膳(ながの しゅぜん。義言)を残すゆえ、共に国元からわしを支えてくれ……」
「……はい……」
身分違いと解っていながら、やはり別れは辛いもの……彦根に残された『たか』は、長野主膳、そして息子の多田帯刀と共に国元から直弼を支援したそうです。