武士が備えるべき「威」とは?戦国武将「鎗中村」新兵衛の不覚と教訓
古来「運も実力の内」などと言いますが、勝つために利用できるものであれば、何であろうと利用し「自分の実力」とするのが武士というもの。
「武士は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」
※朝倉宗滴『朝倉宗滴話記』より。
【意訳】武士は犬畜生と蔑まれようが、勝たねば生きていけんのだ。
(=そのための武力を提供するのが我々の仕事であり、卑怯だの何だの、とやかく言う連中はその本質を解っておらんのだ)。
実力=武力とは単なる身体能力に留まらず、その武士が持つ装備をはじめ経歴や実績、挙げ句の果てにはご先祖様の名前さえ引っ張り出しても勝ちを求めるものでした。
もちろん策略で罠にハメたり、カネで買収したり、人質をとったり……戦場で叫ぶ「卑怯」など、負け犬の遠吠えに過ぎません。その勝ちがカッコいいかはともかく、負けたら死んで(殺されて)しまうのですから。
こうした勝利に必要な諸々の要素をひっくるめて武士たちは「威(い≒武のオーラ)」などと呼びましたが、その獲得・維持が武士たちにとっていかに死活問題であったかよくわかるエピソードを、今回紹介したいと思います。
「鎗中村」新兵衛の不覚と教訓
摂津半国の主松山新介が勇将中村新兵衛、度々の手柄を顕しければ、時の人これを鎗中村と号して武者の棟梁とす。羽織は猩々緋、兜は唐冠金纓なり。敵これを見て、すはや例の猩々緋よ、唐冠よとて、いまだ戦はざる先に敗して、あへてむかひ近づくものなし。ある人、強(しい)て所望して、中村これを与ふ。その後戦場にのぞみ、敵、中村が羽織と兜を見ざるゆゑに、競ひかかりて切り崩す。中村戈(ほこ。槍)を振て敵を殺すことそこばくなれども、中村を知らざれば敵恐れず。中村つひに戦没す。これによつていふ、敵を殺すの多きを以て勝つにあらず、威を輝かして気を奪ひ、勢を撓す(どうす。くじく意)の理をさとるべし。
※『常山紀談』拾遺巻之四より。
【意訳】
摂津国(現:大阪府北部)の半分を治めていた松山新介(まつやま しんすけ。重治)の家臣に、数々の武勲を立てて「鎗中村(やりなかむら)」と恐れられた中村新兵衛(なかむら しんべゑ。高続)という豪傑がいた。
猩々緋(しょうじょうひ)の陣羽織と、唐冠金纓(とうかんきんえい。中国風の冠デザインで金の房がついている)の兜がトレードマークで、戦場でそれを見ると敵は「うわぁ、鎗中村だ!」と恐れおののき、戦う前から逃げ出してしまうのだった。
ところがある日、ある者が「どうしてもその兜と陣羽織を貸して欲しい」と言うので新兵衛は仕方なくこれを貸し与え、自分は別の甲冑で出陣した。
すると敵兵たちは、その武者が「鎗中村」とは思っていない(本当は新兵衛だと知らない)ものだから少しも怯まず襲いかかり、新兵衛は奮戦むなしくついに討死しまう。
この事から得られる教訓は、戦に勝つにはただ敵を多く殺せばよいのではなく、威を発揮して敵の戦意をそぎ、実力を発揮させないことが肝要なのである。