これぞ悪党の美学?『徒然草』が伝える鎌倉時代の刈田狼藉に、吉田兼好も苦笑い
「やって良いことと、悪いことくらい分かるだろう!」
そう咎める人がよくいますが、無邪気な子供ならばいざ知らず、いい歳をした大人であれば、自分の行為が悪いことくらい「百も承知」でやっていることがほとんどです。
しかし、悪いことをすると言うのは多少なりとも良心が痛みますから、ひとたびやる以上は相応の覚悟を決めてかかるもの。
そんな心情は昔の人も同じだったようで、今回は鎌倉時代の随筆『徒然草(つれづれぐさ)』から、とある悪党たちのエピソードを紹介したいと思います。
悪党の美学?「僻事せんとて罷る者なれば、いづくをか刈らざらん」
人の田を論ずる者、訴へに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人を遣しけるに、先づ、道すがらの田をさえ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事せんとて罷る者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。
理、いとをかしかりけり。
※『徒然草』第209段より。
【意訳】
土地(田の所有権)争いの訴訟で負けた男が、その腹いせに「ただ渡してやるのも癪だから、稲を刈り取ってしまえ」と手下に命じた。
手下たちは鎌を手に手に現地へ向かうが、その道中に実っていた稲を手当たりしだい刈り取り始めた。「おい、ここは訴訟とは無関係だぞ。何てことをするんだ」
田の持ち主が抗議すると、手下らは反論した。
「どこであろうと、他人の田んぼを勝手に刈り取ってよい理屈などあるものか。そもそも無茶苦茶な命令なんだから、俺たちも滅茶苦茶に従うまでさ」
……まったく、じつに筋の通った屁理屈だこと。
僻事(ひがごと)とは、僻みを動機におこなうことで、少なくとも善行ではない悪事、ここでは「八つ当たりで他人の田んぼを勝手に刈り取る」行為を指します。
刈田狼藉(かりたろうぜき)と呼ばれたこの行為は、今回の件以外にも知行権(ちぎょうけん。領有権)の主張や食糧の収奪、あるいは単なる嫌がらせなどの目的で多く見られ、世が乱れると兵糧の現地調達として盛んに行われました。
(※)ただし、必ずしも犯罪とされた訳ではなく、実施者の主張が認められれば正当な収穫行為とされましたが、今回の場合は「訴訟に負けた腹いせ」という前提があるため、僻事と断定されています。
2ページ目 中途半端な分別は捨てて、とことん筋を違えていこう