四方を海に囲まれた日本では、お隣の中国大陸をはじめとして、外国へ行くには荒波を越えなければなりません。
航海技術の発達した現代でも海難事故がしばしば起きており、昔の人々にとっては決死の覚悟が求められたことは言うまでもないでしょう。
古来「人事を尽くして天命を待つ」と言うように、できる限りの手を打ったらあとは神頼みとなるのですが、古代の人々はその神頼みにも必死だったようです。
そこで今回は、古代日本(倭国)の様子を記した「魏志倭人伝(ぎし わじんでん)」より、航海の無事を祈願した古代の奇習「持衰(じさい)」について紹介したいと思います。
「魏志倭人伝」について
歴史の授業で1度は聞いたことがあるかと思いますが、魏志倭人伝とは中国大陸が三つの王朝(魏・蜀・呉)に分かれて天下を争った三国時代の歴史書『三国志(さんごくし)』の中で、魏(ぎ)王朝について志(しる)した「魏志」の一章(伝)を指しています。
当時、倭国は魏王朝に臣従していたため、魏志に収録されたのでした。
魏志倭人伝では、魏の東方に位置する帯方郡から朝鮮半島を経由して対馬海峡を渡り、九州に上陸して邪馬台(やまたいorやまと)国へ至る道中の国々を紹介。
後半は倭国全体の自然風土や生活文化、魏王朝との外交関係について、そして女王・卑弥呼(ひみこ)の死と臺与(とよ)への継承までが描かれています。
倭の各国は魏王朝へ臣従の意思を示すためにしばしば大陸へ渡らねばならず、危険な航海を成功させるために生まれたのが「持衰」の奇習だったのです。